理想を歌わなくなったとき、ポップ・ミュージックは本当の意味で死ぬ 〜 Blood Orange『Freetown Sound』〜



 ブラッド・オレンジことデヴ・ハインズの曲、「You're Not Good Enough」に耳を傾けている。この曲は、彼のセカンド・アルバム『Cupid Deluxe』に収録されたもの。ファンクやR&Bの要素が色濃いサウンドをバックに、惰性で付き合ってるふたりについて歌われている。
 面白いのは、必ずしも“男女”の関係だけに聞こえないところだ。このアルバム自体、セクシャルでありながらマッチョな雰囲気がなく、高低を巧みに使いわけるデヴのヴォーカルも手伝ってどこか両性具有的だが、そんなアルバムの内容を象徴するのが「You're Not Good Enough」だ。その両性具有的側面は多様性を生みだすことにも繋がり、ゆえに『Cupid Deluxe』は幅広い層の人たちから支持される作品になった。

 そんな『Cupid Deluxe』に続く最新作『Freetown Sound』も、基本的には同じだ。R&B、ヒップホップ、ファンク、ロック、ディスコといった要素が絶妙に混じりあい、セクシャルな雰囲気を醸している。“あくまでも親しみやすいポップ・ソングを”という姿勢も前作同様だ。
 とはいえ本作は、前作とは明らかに違う点もいくつか存在する。まず、2012年のトレイボン・マーティン射殺事件に言及した「Hands Up」など、これまで以上に世界の現況と深く共振する要素が多く見られること。カーリー・レイ・ジェプセン、ネリー・ファータド、デボラ・ハリーといった女性のヴォーカリストが多く参加し、さらに冒頭の「By Ourselves」でアシュリー・ヘイズのポエム「For Colored Girls (The Missy Elliott Poem)」(※1)をサンプリングしていることも、フェミニストを公言する者が増えてきた現在とリンクする要素だ(そういえば先日、アメリカのオバマ大統領もフェミニストと公言したばかり ※2)。
 ちなみにジャケットは、さまざまな黒人を写してきた写真家ディアナ・ローソンの「Baby Sleep」(※3)を引用したものだが、ディアナも女性である。サウンド面だけでなく、ヴィジュアル面もフェミニンな香りで満たしているのは、なんとも興味深い。

 黒人といえば、本作はデヴのルーツを探る作品とも言える。アルバム・タイトルは、デヴの父親の出身地であるシエラレオネの首都名だし、作品の随所でダウンタウンや黒人が多く住むハーレムの音を使っている。先に書いたディアナの写真を引用したこともふまえれば、本作はデヴなりに黒人のあり方を考えた末に生まれた作品なのは間違いない。言ってしまえば、自身のアイデンティティーをめぐる旅が本作におけるテーマのひとつということだ。
 LGBTコミュニティーに対するリスペクトも本作の特徴である。それは、同性愛者と思われる人たちが登場する「Augustine」のMV(※4)を観てもわかるだろう。昨年発表された「Sandra's Smile」のMV(本作には未収録 ※5)などもそうだが、これまでにもデヴはLGBTカルチャーやダンス・カルチャーに対する敬意を幾度も示してきた。その姿勢が本作にもしっかり引き継がれているというわけだ。

 このように本作は、前作の軽快で親しみやすいポップ・ソングという形をそのままに、より深いメッセージ性を持ったアルバムだと言える。実際に起こった悲劇も取りいれたうえで紡がれるその想いは、ずばり“愛”である。いまもさまざまな困難が世界に降りかかっているのを承知のうえで、デヴは“愛”を歌いつづける。こうした姿勢そのものが力強いメッセージとなって、私たちを惹きつけるのだ。
 そんなデヴの姿勢に“甘い”と感じる人はいるだろうし、“理想が過ぎる”と思う者もいるだろう。だが、それこそがポップ・ミュージックの本懐なのだ。多くの人たちの心を壊しかねないことが起こっても、ポップ・ミュージックはその心に勇気をもたらし、理想と夢を紡がなければならない。その役割を放棄したとき、ポップ・ミュージックは本当の意味で死ぬ。

 あらためて、本作のジャケットに目を向けてほしい。抱きあうふたりの背後に、マイケル・ジャクソンのポスターがある。マイケルは「Black Or White」で、次のように歌っている。

〈肝心なのは人種じゃないのさ その人たちが暮らす場所 顔にたたえている表情 先祖のルーツ そういうものが大切なんだ〉

〈人種というしがらみに縛られて 微笑みをどんどん失っていった人々を大勢目にしてきたよ〉

 デヴ・ハインズは、いまもポップ・ミュージックの可能性を信じている。



※1 : 「For Colored Girls (The Missy Elliott Poem)」はこちらです。https://www.youtube.com/watch?v=o-dM0j3Qygg


※2 : 「Baby Sleep」はニューヨーク近代美術館の公式ページなどで観られます。https://www.moma.org/interactives/exhibitions/2011/newphotography/deana-lawson/baby-sleep/index.html


※3 : 詳しくは、日本経済新聞の記事『オバマ氏「私はフェミニスト」 女性誌に寄稿』を参照のこと。http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM05H1Q_V00C16A8EAF000/


※4 : 「Augustine」のMVです。https://www.youtube.com/watch?v=NXtzcViZPGA


※5 : 「Sandra's Smile」のMVです。https://www.youtube.com/watch?v=GLPsk89aUKw

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