愛は憎しみに勝る 〜 きのこ帝国『愛のゆくえ』〜



 2016年11月8日におこなわれた、アメリカ大統領選。この選挙でドナルド・トランプが勝利したことを受けて、レディー・ガガは次のような言葉を叫んだ。


「Love trumps hate.(愛は憎しみに勝る)」(※1)


 さらに、アーケイド・ファイアのウィン・バトラーもツイッターでこう呟いている。


「Love and peace to the hopeless today.(希望が失われた今日に愛と平穏を)」(※2)


 すでに多くの者が述べているように、トランプは差別感情、憎悪、怒りを利用することで勝利した。その影響はすぐさま表れ、ニューヨークのロチェスターでは、レインボーフラッグが燃やされるという痛ましい事件も起こってしまった(※3)。信じられないが、差別的言動を繰りかえしてきたトランプが勝利したことで、差別が許されると勘違いする者もいるのだ。こうした事態を予見していたからこそ、レディー・ガガとウィン・バトラーは “愛” が込められた言葉を発信したのかもしれない。しかし筆者は、これらのメッセージを見て、希望と同時に不安も抱いてしまった。憎しみが噴出し何ひとつ先が見えないなか、ふたりの言う“愛”は、この先どこへいくのだろうと...。


 面白いことに、きのこ帝国のニュー・アルバムは『愛のゆくえ』というタイトルだ。もちろん偶然だと思うが、鋭敏な感性を持つ表現者が無意識に時代と共振してしまうのはよくあること。そう考えると、本作は図らずも同時代性をまとった作品だと言える。
 全9曲で構成された内容はズバリ、“愛” がテーマだ。1分に満たない小品「Landscape」を除けば、全曲 “あなたとわたし” という風景を描いている。平易な言葉で複雑な感情を浮かびあがらせる技は見事なもので、聴き終えたときに襲われる余韻もすごく心地よい。
 特に惹かれた歌詞は、オープニングを飾る「愛のゆくえ」だ。一見すると、愛しあうふたりが引き裂かれた悲恋を歌っているように思える。だが、別のフィルターを通して聴くと、また違った風景が現れる。とりわけ注目したいのは次の歌詞。


〈ふたりは隠れて指をつないでいた 愛は この愛は 誰にも言えない〉〈ふたりはひとつになれない 知っていた〉


 このフレーズがあることで、「愛のゆくえ」はバイセクシャル的な雰囲気すら漂わせる、懐が深い歌になっている。こうした側面は最近だと、宇多田ヒカルのアルバム『Fantôme』を想起させるものだ(※4)。
 「夏の影」も、人によって見えてくる風景が違うだろう。こちらも「愛のゆくえ」に通じる悲恋を連想させるが、愛しあうふたりが自分の気持ちに従ったと考えれば、ハッピー・エンドとも解釈できる。このような奥深さは、きのこ帝国が表現の幅を広げた証としても見逃せないポイントだ。


 共同プロデューサー/エンジニアにzAkを迎えたサウンドも素晴らしい(「愛のゆくえ」は井上うにが共同プロデューサー/エンジニア)。ダブ/レゲエの要素が顕著なリヴァーブの甘美さ、そして多彩なバンド・アンサンブルといった具合に、ここでもきのこ帝国の進化がうかがえる。特に音響面では実験的と言える多くの試みがおこなわれているが、ここまで深く掘りさげたのは、2013年のEP「ロンググッドバイ」以来ではないだろうか。「ロンググッドバイ」以降、どちらかといえばメロディーや言葉に重点を置いていたように感じるが、ここにきてリズムや音響面に重心を傾けたのは、きのこ帝国のチャレンジングな姿勢が好きな筆者としては嬉しいかぎり。


 アルバム全体の構成も秀逸だ。まず見てほしいのは、ラストの「クライベイビー」に登場する一節。


〈21gを愛だとしよう その21gはどこにゆくのだろう〉


 これはおそらく、『バードマン』や『レヴェナント』などで有名な映画監督、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが制作した『21グラム』から引用している。『21グラム』は、魂の重さは21グラムという説をネタにした映画。とある事故がきっかけで変わった3人の運命を綿密に描いており、バラバラの時系列がだんだんとひとつになっていくカタルシスを得られる良作だ。イニャリトゥ作品の中でも、極めて実験的な映画だと言える。ちなみに元ネタの説は、アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルがおこなった、魂の重さを測るという実験から広まったものだ。
 そうした『21グラム』の構成と、本作の構成はどこか似ている。ひとつひとつの歌で語られるストーリーは独立したもので、世界観もそれぞれ異なる。しかし、それらが積み重なることで何かひとつの大きな想いが浮かびあがってくるあたりは、共通してるように感じるのだ。また、愛を21グラムとしたところも、魂を心臓に例えた『21グラム』との類似性を見いだせる。
 もともときのこ帝国は、映画からの引用と思われる表現が多い。たとえば先述の「ロンググッドバイ」にしても、ロバート・アルトマンによる同名映画が元ネタだろう。もっと言えば、「ロンググッドバイ」収録の「パラノイドパレード」に登場する〈青い花柄のワンピース〉も、ジャコ・ヴァン・ドルマルの映画『ミスター・ノーバディ』に出てくる少女エリースを連想させる。ただこの連想は、たぶん的外れだと思う。


 『愛のゆくえ』は、素直すぎるほどの前向きなエネルギーで満ちたアルバムだ。特に、ラストを飾る「クライベイビー」のストレートすぎる歌詞にはとても驚かされた。得意の詩的な表現が後退し、“綺麗ごと” や “建前がすぎる” と言われても不思議ではない言葉が並んでいるからだ。
 とはいえ、あらゆるところで憎悪に満ちた言葉や行動が見られる今の日本に必要なものが込められているのも、確かなのだ。それは “理想” であり、“希望” であり、“愛” である。他者に心を開き、受け入れることで生まれる安心や心地よさの大切さを訴えている。『スター・トレック:イントゥ・ダークネス』のコピーが言うように、人類の弱点は愛かもしれない。だが、その弱点を乗り越えられるのも、愛なのだ。



※1 : レディー・ガガのツイートを参照。https://twitter.com/ladygaga/status/796301854464479232?ref_src=twsrc%5Etfw

※2 : ウィン・バトラーのツイートを参照。https://twitter.com/DJWindows98/status/796373777122729984

※3 : WXXI Newsのツイートを参照。https://twitter.com/WXXINews/status/796714241281626113?ref_src=twsrc%5Etfw

※4 : 宇多田ヒカル『Fantôme』のレヴューです。ご参考までにぜひ。https://note.mu/masayakondo/n/nf744c1db10a1

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