wezzyに『ビヨンセ、アリアナ、森高千里…性差別にファイティングポーズをとるミュージシャン』寄稿のお知らせ+おまけ



 wezzyに『ビヨンセ、アリアナ、森高千里…性差別にファイティングポーズをとるミュージシャン』という記事を寄稿しました。海外の状況と比較しつつ、フェミニズム/ジェンダーの観点から日本のポップ・ミュージックを評したものです。現在のトレンドに目配せしながら資料性も高くしたので(引用を多めにしたのはそのためです)、ぜひとも。

 今回の原稿を書くにあたって、手元にある音源をいろいろ聴きました。そのなかで思ったのは、日本では〝フェミニスト〟という言葉が本来の語義と違う意味で使われていたのかも?です。〝フェミニズム〟は一般的に、女性の権利拡張が目的の思想を指す言葉として知られています。しかし、これまで作られた日本のポップ・ミュージックを聴くと、その定義から少し逸れた意味合いで、〝フェミニスト〟を用いているケースが多い。たとえば黒夢“feminism”の歌詞は、女性の権利拡張を訴えるというより、女性に優しくする態度が〝フェミニズム〟とされているように聞こえます。優しくするのはともかく、本来の語義からズレた(もっと言えば脱政治化)使い方はどうなんだ?と疑問に思いながら、興味深く聴きました。

 〈けなげな私に「ボクは誰にも優しんだ」なんてフェミニスト気取ってる ドンカンすぎるよ〉と歌われるLINDBERGの“大キライ!”も、一見するとズレた意味で〝フェミニスト〟を使っているように聞こえます。でもこの曲、歌詞全体を読んでいくと、そういう勘違いを批判するものにも聞こえるからおもしろい。〈リベラル〉や〈コンサバ〉といった政治用語も出てくるせいかもしれませんが。ちなみに“大キライ!”は、アニメ『平成犬物語バウ』のオープニング・テーマだったので、小さい頃よく耳にしていました。ただ、当時の放送では〈けなげな...〉のくだりはカットされていたはず。だからCDでフル・ヴァージョンを聴いたとき、「なかなか強烈な曲だな!」と、幼いながら思いました。

 Def Techの“Quality Of Life”も興味深い。〈あるフェミニストが言った 2000年間ひっくり返す時が来たぜ〉という一節があることからもわかるように、フェミニズムがテーマです。〈変える時が来たんだぜ 今顔を上げ立ち上がれ〉と歌われるところは、「メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』が発表されたのは1792年。3世紀も前に女性は立ちあがっていた」とツッコミを入れたくなりますが、日本ではここまでストレートに女性の人権を歌ったものは珍しいでしょう。このように、日本にもフェミニズムやジェンダーの視点を感じさせる曲はあるので、いろいろ聴いてみてください。

 最後に個人的な話も。今回wezzyに寄せた原稿を書けたのは、仲良くしていた親戚のおじさんのおかげです。以前ツイートしたけれど、おじさんは東京ロッカーズや吉祥寺マイナー周辺のバンドが好きで、日本のアンダーグラウンド・ミュージックに詳しい人でした。中山ラビや『魔女コンサート』に言及できる知見を得られたのも、おじさんに多くのことを教えてもらったから。すでにこの世を去りましたが、原稿執筆の際は、おじさんが遺してくれたレコードや本のコレクションに助けられることが多いです。

 森高千里への言及は、間違いなく母の影響です。筆者が子供のころ、森高千里の音楽が流れると、「あなたがおじさんになったとき、重要な存在になるからしっかり聴いておきなさい」とよく言われました。正直、当時はそうかなあ?と思っていたけれど、いまは母の言っていたことがよくわかります。こうした想い出を浮かべながら書けたという意味でも、執筆の機会を与えてくださったwezzyには感謝します。

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