「前提すらも共有できるメディアが無い」問題についての雑感

ラインに友達の編集者から「これどう思う?」って来てたんで読んでみた。

http://thesignmagazine.com/sotd/arca_mt/

何度か繰りかえし読んだんですが、アルカ云々よりも音楽メディア/音楽業界についての話に目がいっちゃいました。

なので、そこを中心とした感想になっちゃうんですが、まず次の一節、「インターネットで起こっていることを記述していけるライターがいない(もしくは致命的に少ない)ため、「前提すらも共有できるメディアが無い」状況こそ、僕たちが考えるべき問題ではなかったか」に登場する「問題」は、00年代前半ごろから萌芽としてあったよなというのが、僕の認識です。皮膚感覚としては、音楽史のハイライトを淡々と独白するLCDサウンドシステム「Losing My Edge」(2002)を聴いたときから持っていました。

こうした前提が共有しづらい現況については、リスナーの視点から、『MASSAGE』という雑誌の9号に寄稿した『トリルウェイヴ/クラウド・ラップ』と題された記事でも触れてまして、そこで「現在の音楽シーンにおけるすべての潮流を把握し掌握することは不可能」と書いたのが、僕の意見になりますね。

この意見は、“メディア、リスナー、ショップが主要とされる音楽を網羅していた(あるいは網羅していたと思っていた)時代” じゃなくなったよなという考えがあったので書きました。これは『トリルウェイヴ/クラウド・ラップ』執筆当時から今に至るまで変わらず持っている考えです。

これらをふまえて言うと、そもそも、「前提すらも共有できるメディアが無い」状況を問題として考え、あるいは嘆き、それを“なぜメディアは◯◯を取りあげない” みたいな論法に昇華すること自体、ナンセンスに思えます。出来ることといえば、メディアやリスナーも含めたそれぞれが、細分化が進みすぎたゆえに離散した音楽をかき集め、それらを個人史的観点によって接続しながらひとつの流れを提示するコラージュ感覚のもと、オススメしたり、批評したりすることくらいじゃないかなと思います。

機会があれば、このような「状況」について語りたいですね。多くの人と会うなかで、自分なりに現況を考えてしっかり行動に移している人もたくさんいますし、そろそろ「突破」したいですよね。

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