フランツ・フェルディナンド『Always Ascending』 を聴いて、見えてきたもの 〜 ペトラ・コリンズ、シャッフル・ジェネレーション、サウス・ロンドン 〜



 刺激を受けている表現者のひとりに、ペトラ・コリンズという女性がいる。1992年に生まれたペトラは、タヴィ・ゲヴィンソンとの仕事などで知名度を高めたフォトグラファー。いまにもモデルの息遣いが聞こえてきそうな写真はとても生々しく、太ももにあざがある女性を被写体に選ぶセンスは、ありのままの姿の女性を肯定するという意味でフェミニズム的要素もある。いまではi-DやVOGUEといった有名雑誌にも写真を提供する売れっ子になり、さらにはモデルとしてもファッションショーのランウェイを颯爽と歩くなど、精力的に活動している。
 そんなペトラを評したもっとも適切な言葉は、ローリー・シモンズによる文章だろう。ペトラのエッセイ&写真集『Coming Of Age』に寄せられたそれは、少々シニカルな視点を持ちながらも、本質を的確に突く知性であふれている。

〈ペトラ・コリンズの世代にとって、ある種の境界線は意味のないものになりつつある。(中略)写真家・モデル・ミューズとして、カメレオン的なアイデンティティを持つペトラは、カメラの前にも後ろにも立ち、記録することにもポーズをとることにも同じくらい精通している。これまでの、商業的な動機と芸術的な動機とを混同させることに抵抗のある世代が引いた境界線を、ペトラは越えていく〉(ペトラ・コリンズ『Coming Of Age』収録のローリー・シモンズ「Crossover Giri. or How Did Petra Find Her Camera?」より引用)

 ペトラのように境界線を軽々と越えていく感性はポップ・ミュージックにも広がっている。たとえば〈Jazz Re:freshed〉の設立者であるアダム・モーゼスは、いまはシャッフル・ジェネレーションの時代と定義している。アダムによると、シャッフル・ジェネレーションはジャンルの境界線が明確でなく、ゆえにさまざまな音楽を聴いているという。1988年生まれの筆者からすると、2000年代におけるMySpace世代が持っていたグローバルな感覚と近いものを感じるが、それが形を変えて2010年代にも受け継がれているとすれば興味深い。
 そう考えると、ここ最近のサウス・ロンドンは、シャッフル・ジェネレーションのセンスを備えたアーティストが多いと言える。UKジャズの新星として注目されるプーマ・ブルーはギャング・オブ・フォーのアンディー・ギルのギター・プレイに影響を受けたと公言する男だし、コスモ・パイクは「Just Cosmo」というEPでレゲエ、ジャズ、ファンクといった音楽的嗜好を披露しつつ、サウス・ロンドンのグライム集団アミ・ボーイズにも参加している。あるいは、現在のサウス・ロンドンのロック・シーンを牽引する存在でありながら、デビュー・アルバム『Songs Of Praise』のプロデュースをダン・フォートとネイサン・ボディーというエレクトロニック・ミュージック畑の人材に託したシェイムも、シャッフル・ジェネレーションと言えるだろう。これらのアーティストにとって、ひとつのジャンルやスタイルにこだわることは意味がなくなりつつある。そしてそうしたマインドこそが、ここ最近のサウス・ロンドン全体の盛りあがりと多様さに繋がっているのだ。

 フランツ・フェルディナンドの最新作『Always Ascending』を聴いて驚いたのは、シャッフル・ジェネレーションの音楽と近いサウンドが鳴っていたことだ。これまで4枚のオリジナル・アルバムを残してきた彼らは、サード・アルバム『Tonight: Franz Ferdinand』ではダブを取りいれるなど、作品ごとに音楽性を変化させてきたグループではある。だが基本的にはロックを軸にした音楽性が特徴だったし、そこから大きく逸脱することはなかった。だからこそ彼らは、2000年代の“UKロック”を代表する存在として語られ、多くのファンに愛されてきた。
 しかし、本作を聴いて“UKロック”というカテゴライズが妥当だと思う者は少ないだろう。シンセサイザーやフィリコーダといったいくつもの楽器を用いることで、これまでよりも飛躍的に音域が広いサウンドを鳴らしているのだ。もちろんギターの音も聞こえるが、彼らの代表曲である“Take Me Out”のような、荒々しくもシャープなギター・サウンドが占める割合は減っている。

 もちろん曲調も驚くほど多彩だ。トラップから影響を受けたというハイハットが印象的な“Huck And Jim”は、ラップ調のヴォーカルも交わるせいか、もしフランツ・フェルディナンドがヒップホップをやってみたら?というサウンドだ。さらに、憂いを帯びたフィリコーダの音が映える“Finally”は、サイケデリックでレトロ・フューチャーな雰囲気を醸すミディアム・バラードに仕上がっている。デヴィッド・ボウイ『Low』を想起させる冷ややかなシンセ・サウンドが際立つ“Paper Cages”や、イタロ・ディスコのいなたさを醸す“Glimpse Of Love”なども耳に残る良曲だ。こうして変臉の如く表情を変える本作は、特定のジャンルやスタイルに依拠した創作姿勢は微塵も見られず、自分たちのアイディアを自由に表現できる風通しの良さと、それを可能にするアーティストとしての健全な向上心で満ちている。

 なかでも特に惹かれたのは、9曲目の“Feel The Love Go”だ。本作はカシアスのフィリップ・ズダールをプロデューサーに迎えて制作されたが、そのカシアスや初期のダフト・パンクに通じるフレンチ・ハウスのフィーリングが漂い、執拗に繰りかえされる肉感的なベース・ラインと4つ打ちは艶かしいグルーヴを生み、私たちを踊り狂う肉の塊へと変貌させる。そして見逃せないのは、テリー・エドワーズがサックスで参加していることだ。PJハーヴェイやリディア・ランチなど多くの才人と共演してきたエドワーズは、1980年代のイギリスで活躍したポスト・パンク・バンド、ヒグソンズのメンバーでもあった。2000年代のフランツ・フェルディナンドは、当時隆盛したポスト・パンク・リヴァイヴァルの流れに位置するグループとしても見られていたが、そんな彼らとオリジナル世代が邂逅したのはなんとも感慨深い。そんなテリーによる享楽的なサックスの響きは、ロキシー・ミュージックに通じるグラム的なきらびやかさを“Feel The Love Go”にもたらしている。

 本作は、膨大な量の要素が撹拌されたがゆえに曖昧で、だからこそ多面的な解釈と楽しみ方ができるモダンなポップ・アルバムだ。それこそ、いまシャッフル・ジェネレーションたちが生みだしている素晴らしい音楽のような。フランツ・フェルディナンドは、再び時代と共振しつつある。



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