言葉の壁は越えられる 〜 Kate Tempest『Let Them Eat Chaos』〜



 イギリスのラッパーであり詩人、ケイト・テンペストが2014年に発表した『Everybody Down』(※1)は、彼女の才能を広く認知させた衝撃作である。このアルバムは、ヘルス勤めの彼女とディーラーの彼氏、さらにはふたりの友人たちも登場する群像劇だ。高騰する都市部の家賃に苦しみながら、そこで何とか生きる若者の殺伐とした心情を描いている。セックスやドラッグなど、ヘヴィーな題材に関しても鋭い言葉を紡いでいる。
 特に秀逸なのは、ディーラーとして働く彼氏の描き方だ。この彼氏は、底辺レベルの労働に就きながらも、家族にはまっとうな会社で働いていると嘘をつくなど、優しい心を忘れていない。さらに、本当は彼女にヘルスの仕事をやめてほしいが、生活費のほとんどは彼女持ちだから強く言えないという悩みも抱えている。そのうえ、彼女が本番もやってるんじゃないか?と想像して、悶々とする。そうした姿は非常に生々しく、日本に住む筆者もそのリアリティーに惹かれた。このような人間ドラマが描かれた『Everybody Down』は高く評価され、2014年のマーキュリー・プライズにノミネートという快挙を果たしている。


 そんな『Everybody Down』から2年。ケイト・テンペストが新たな傑作を作りあげた。『Let Them Eat Chaos』というそれは、彼女の主張がより明確に表れている。本作に込められた主張はズバリ、行きすぎたフォーディズム(大量生産/大量消費主義)に対する批判であり、いわば世界に向けたファック・ユーである。冷徹なまでに淡々と紡がれる言葉は怒りで満ち、リスナーの心をとらえて離さない。シャウトやスクリームはないが、選び抜かれた言葉を速射砲のように放つ彼女は、とてつもない激情に包まれている。
 その激情がもっとも明確に見られるのは、「Europe Is Lost」だろう。実はこの曲、2015年11月に起こったパリ同時多発テロ事件直後に公開されたもの(※2)。ゆえに曲名もこの事件と関連するのだが、面白いのは、今年6月にイギリスでおこなわれたEU離脱の是非を問う国民投票後の状況とも共振することだ。この国民投票はEU離脱派の勝利で終わったが、その後EU離脱派を牽引した者たちが公約撤回という暴挙に出て批判されるなど(※3)、イギリス中を大混乱に陥れた。言ってしまえば、そうした無責任な政治家たちと、それを支持する者たちに対する痛烈な皮肉という性質が、図らずも「Europe Is Lost」に込められてしまった。こんな偶然を呼び寄せるのも、彼女の批評眼が優れているからこそ、と思うのは筆者だけだろうか?


〈ヨーロッパは迷った アメリカも迷った ロンドンも迷った それでもまだ私たちは勝利の雄叫びをあげる〉〈私たちは歴史から何も学ぶことができないのか〉(「Europe Is Lost」)


 そして本作は、言葉だけでなく、ヴィジュアルでも強烈なメッセージを放っている。本作に使われているコラージュ作品はすべて、イギリス出身のアーティスト、ピーター・ケナードが提供したもの。彼はこれまで、反戦、反核、人権問題に関するメッセージが込められた作品を多く残している。既存の物を用いて創作する手法は、同じく反戦や人権問題に関心を向けるバンクシーと共振する。こうした姿勢は本作でも強く示され、環境破壊が地球にのし掛かったように見えるジャケットをはじめ、インナー・スリーブでは大量消費主義や資本主義に対する批判も展開している。

 ケイト・テンペストといえば、言葉による表現で高い評価を得てきたアーティストだ。しかし本作では、ヴィジュアル面でも多くの人にメッセージを伝えようとする姿勢が顕著に表れている。この点は、英語を完全には理解できない者でも、アート・ワークを通して彼女の言いたいことを理解できるという意味で、とても重要だと思う。そう考えると本作は、さまざまな角度からの入口が用意された、総合アート的な性質を持っていると言える。これは彼女にとって大きな進歩であり、より多くの人にメッセージを届けたいという切実さの表れでもある。もちろんこの切実さは、言葉の壁を越えて世界中の人々に届くはずだ。



※1 : 『Everybody Down』のレヴューは、音楽サイトのクッキーシーンで書きました。ご参考までにぜひ。http://cookiescene.jp/2014/05/kate-tempesteverybody-downbig.php

※2 : ケイト・テンペストが「Europe Is Lost」を公開したときのツイートです。https://twitter.com/katetempest/status/670182004978270208

※3 : AFPの記事『英国民投票、ほつれるEU離脱派の公約』を参照。http://www.afpbb.com/articles/-/3092213?act=all

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