ドラマ『マニアック』



 9月21日、ネットフリックスで配信がスタートしたドラマ『マニアック』は傑作だ。監督は『007』シリーズ最新作を任されたことも記憶に新しいキャリー・ジョージ・フクナガ。脚本は『ブリッジ〜国境に潜む闇』のパトリック・サマーヴィルが務め、役者陣にはエマ・ストーンやジョナ・ヒルといった実力者が迎えられている。

 プロットは実にシンプルだ。心に傷を抱えるオーウェン(ジョナ・ヒル)とアニー(エマ・ストーン)は、ネバーディーンという会社の臨床実験に参加する。その臨床実験は、A錠、B錠、C錠と名づけられた治療薬を三段階に分けて飲むことで、トラウマの原因となる記憶を呼び起こす。そうして無意識の中に埋もれた傷を解明し、トラウマを治療する。だが、これまで何度もおこなわれたこの実験は、成功したことがなかった。案の定、オーウェンとアニーの治療も多くの困難に見舞われるのだった。

 『マニアック』の物語は、私たちが住む現実とは少しずれたSF的世界観を基に描かれている。舞台はニューヨークだが、明確な時代設定はない。随所で登場するハイテクな機器を通して、どうやら近未来的な世界のようだとなんとなく認識できるだけだ。
 これは寓話的とも言えるが、そうした性質を『マニアック』は存分に活かしている。その一例としては、治療薬で呼び起こされる記憶は治験者の出来事をまんま再現せず、何かしらの表象を通して示唆することが挙げられる。この表象は実にさまざまだ。1980年代のときもあれば、1940年代のときもある。いつの時代かも不明な『ロード・オブ・ザ・リング』的世界も飛びだす。それに伴い、オーウェンとアニーの姿も変臉の如く変わる。詐欺師、スパイ、エルフなどなど。これらを見事に演じ分けるエマ・ストーンとジョナ・ヒルの演技は秀逸だ。特にエマ・ストーンは、コメディエンヌとしての側面が花開いており、多彩な演技力を毅然と示している。

 さまざまな表象に暗喩が散りばめられているのも『マニアック』の見どころだ。たとえば、1980年代の世界におけるオーウェンとアニーは、とある高級毛皮店からキツネザルを取りかえすため、戦うことになる。店を経営する父と2人の息子は、キツネザルの争奪戦が起こると、団結して行動するほどの強い家族愛の持ち主だ。この3人を考えるうえで見逃せない点が2つある。1つめは、息子の1人はアメリカ国旗があしらわれたズボンを履いていること。2つめは、父親が息子2人にアメリカンドリームを説くところだ。

 80年代のアメリカといえば、不安定な冷戦状況だった背景をふまえ、レーガン政権が強いアメリカ像を構築していた。軍事支出を増やし、戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative)などを掲げたのはわかりやすい一例だ。しかしその軍事費は、メディケイドやフードスタンプといった社会福祉支出を削減することで捻出された。これはかの有名なレーガノミクスの一環でおこなわれたが、この手法が貧困層にダメージをあたえ、格差社会の拡大をもたらしたことは、ポール・クルーグマンの著書『格差はつくられた』などでも指摘されている。

 こうした背景をふまえると、高級毛皮店の3人は当時のアメリカを反映した存在なのがわかるだろう。家族全員で魚類野生生物局に立ち向かい、強さを全身でアピールする立ち居振る舞いが目立つのだから。キツネザルを守るためにおこなう銃撃戦は、“軍事”の象徴としてあまりにもわかりやすい。そんな3人からキツネザルを取りかえすという構図には、強者に奪われたものを取りかえす、階級闘争的な暗喩を見いだすことも可能だろう。そもそもキツネザルは、3人が“強奪”したものなのだ。

 1940年代の世界もアメリカの出来事をモチーフにしている。この世界でのオーウェンとアニーは、オリー(オーウェン)とアーニー(アニー)という名の詐欺師。この設定を知り真っ先に想起したのは、1940年代後半のアメリカを騒がせたレイ&マーサ事件である。結婚詐欺で生計を立てていたレイ&マーサは、詐欺のほころびを隠すために幾度も人を殺した殺人鬼でもある。2人が起こした事件はかなり有名なもので、『ハネムーン・キラーズ』『ディープ・クリムゾン 深紅の愛』『ロンリー・ハート』など、事件をモチーフにした映画も多く作られている。レイ&マーサは半ば腐れ縁のように繋がっていたそうだが、それはオーウェンとアニーの関係性にも重なる。そう考えると、1940年代の世界はオーウェンとアニーが迎える“やはり離れない結末”を示唆しているとも言えるだろう。

 『マニアック』の暗喩は映画ネタにも及んでいる。1940年代の世界では、豪勢な屋敷でのアニーのダンス・シーンも見られるが、このシーンは『ラ・ラ・ランド』を連想させる。エマ・ストーンは『ラ・ラ・ランド』でも華麗なダンスを披露しているからだ。
 他にも、臨床実験に必要なコンピューターが涙を流すなど、感情をあたえられたことで混乱してしまうという設定は、『エレクトリック・ドリーム』を想起させる。マイケル・ジャクソンやマドンナのMV制作で有名なスティーヴ・バロンが監督を務めたこの映画は、思考と感情を持ったパソコンが大騒動を巻き起こすラヴ・コメディー。マイルズ(レニー・ヴォン・ドーレン)、マデリーン(ヴァージニア・マドセン)、パソコンの三角関係に至る物語は、マデリーンの涙がパソコンにかかるシーンをきっかけに、結末へと走りだす。

 『マニアック』と『エレクトリック・ドリーム』の共通点は、コンピューターを論理的な思考の象徴として登場させているところだ。そのコンピューターに感情があたえられるとエラーを起こし、トラブルが発生するのも同じだ。このような展開が示すのは、感情は論理的なものじゃないということだろう。どんなに高度な論理を通しても、感情を解明することはできない。先述したように、臨床実験は高度なコンピューターを通しておこなわれ、実験の責任者であるジェームズ(ジャスティン・セロー)も言うように、「大成功」で終わる。しかしそれは、トラウマは治療するのではなく、適応させていくものなのだとアニーが気づいたからこそ、もたらされた結果だ。その気づきは、「882もの心」を見ても、感情を解明できなかったコンピューターにも影響をあたえる。アニーは、心の傷と向き合いながら生きていく道を見つけた。これこそ本当の治療であり、「大成功」なのだ。そして、アニーの気づきと対比させるように、暴走したコンピューターは眠らされる。

 臨床実験を終えたオーウェンとアニーは、それぞれの生活に戻る。しかしオーウェンは、性的違法行為で訴えられていた兄弟を庇わない証言をしたため、家族に勘当され、精神病院に入れられてしまう。そこに現れたのがアニーだ。臨床実験でオーウェンの優しさに触れたアニーは、オーウェンを精神病院から連れだす。トラックに乗ったオーウェンとアニーは、精神病院のスタッフたちに追いかけられながらも、逃げることに成功する。一緒にソルトレイクシティーに来てほしいとアニーから誘われたオーウェンは、首を縦に振る。

 ソルトレイクシティーに向かうその表情は、とても幸せそうに見える。心に傷を抱えたことで、社会の規範から漏れてしまったオーウェンとアニーは、手を取りあいながら生きていくだろう。臨床実験でもそうしたように。
 そんなオーウェンとアニーの姿は、人は完璧な生き物ではないが、ゆえに支えあいながら生きていくのだという他者への愛で溢れている。共に孤独ではあるが、孤独だから得られる繋がりもあるのだ。こうした愛をシニカルなダーク・ファンタジーという包み紙にくるんで届けてくれる『マニアック』は、セクシュアル・マイノリティーや社会的弱者を敵視する者たちが多い現在において、理想が過ぎると思われるかもしれない。しかし、クソな現実だからこそ、理想が必要なのだ。そうした崇高な信念を『マニアック』は貫いている。


追記(10/3) 

本稿をアップした後、1940年代の世界のダンス・シーンは『ラ・ラ・ランド』ではなくゴダールの『Bande à part(邦題 : はなればなれに)』かも?と思い、再見しました。すると、カメラワークは違いますが、振りつけは類似点が多いと感じました。ソノヤ・ミズノも出ているので、直感的に『ラ・ラ・ランド』を連想したけど、『Bande à part』のほうが近いかなあと今は思います。



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