セシル・ロバート


 セシル・ロバートのYouTubeチャンネルを見つけて以降、そこにアップされている音源を聴くことが多い今日この頃。セシルがアップしているのは、トーキング・ヘッズやティアーズ・フォー・フィアーズといった数々の名曲を、誰もいないショッピングセンターで流れている風に加工したものなど、一風変わった音源が多い。このフェティシズムは加速するばかりで、今月には音飛び風のジョイ・ディヴィジョン“Love Will Tear Us Apart”がアップされた。

 セシルのYouTubeチャンネルで聴ける音源は、当然ながら音質は良くない。ハイレゾ信者からしたら、音楽に対する冒涜とも言えるほどデチューンしている。それでも、セシルの音源を求める者は少なくない。どの音源も1000回以上は再生されており、なかには130万回以上再生されたものもある。

 なぜ、そこまでセシルの音源は注目を集めているのか? それはおそらく、聴き手のなかにある懐しみの感情を呼び起こすからだ。音楽は、聴き手の人生と深く結びつくことが多い。たとえば、想い出の1曲を挙げてほしいと言われたとしよう。あれこれ考えた結果、その曲を挙げた理由も思い浮かぶはずだが、そこには何かしらのエピソードが付いてくるだろう。今のパートナーと初デートで行った場所で流れていた、孤独でしょうがなかった青春時代に寄り添ってくれる歌詞だった、といったようなものだ。このように音楽は、想い出を伴う形で聴き手に記憶されていることが多い。

 そうした音楽の側面をセシル・ロバートはあらためて実感させてくれる。不思議なことに音楽は、演奏が上手かったり、綺麗な音であれば多くの人の記憶に必ず残るというわけじゃない。ある意味それは残酷とも言えるが、その残酷さが音楽の魅力でもあるのだ。



サポートよろしくお願いいたします。