やっと平成のファースト・ゴジラが誕生した 〜 映画『シン・ゴジラ』〜



 『シン・ゴジラ』、2010年代を代表する傑作ですね。いまの日本だからこそできるカリカチュアや風刺を見事にやりきってる。素晴らしい。

 目を引いた点はたくさんありますが、なかでも特筆しておきたいのは、登場人物に無能な人がいないこと。大河内総理(大杉漣)にしても、一見頼りなさそうに見えるけど、保身というよりは彼なりに国民を思うゆえの言葉が多いですからね。ちゃんと決断もしますし。このあたりは、クリストファー・ノーランの『インターステラー』などを連想しました。

 ジェンダーロール的にも興味深い内容です。特に尾頭ヒロミ(市川実日子)は、ゴジラを倒すためのヒントにいち早く気づいたひとりとして、劇中でも大活躍。「かっけえ!」って思いましたもん。『24』のクロエみたいな立ち位置でしょうかね。そもそも、矢口(長谷川博己)率いるゴジラ対策チームが、有能であれば誰でも受け入れるという多様性がある集まりなので、そこも好感を持てました。

 また、友人いわく、行政機関が主体となって戦っているところに愛国的な要素を感じるのが気になるとのこと。しかし、こうした批判に筆者は納得できません。まず注目すべきは、オタクやギークといった世間では “はみ出し者” とされがちな人たちが活躍するという点でしょう。“行政機関で働いている” というところにとらわれていると、大事な側面を見逃してしまうと思います。

 プロパガンダ云々に関しては、「バカバカしい」の一言で済みます。劇中の「この国はまだやれる」というセリフにしても、最近流行りの “日本はすごい!” みたいな称揚系ではなく、“まだやれることあるんじゃない?” という、いまの日本に対する問いかけのように思います。そういった意味では、ひとつの希望を見せてくれるシーンでもある。少なくとも “愛国” ではないでしょう。

 “愛国” といえば、国難の映画であるにもかかわらず、日の丸といったわかりやすい日本のモチーフがほとんど見られない点も興味深い。これも「“愛国” ではない」とした一因です。こうした演出が意図的なのかは不明だけど、どんな立場であれ、特定のイデオロギーに結びつけて『シン・ゴジラ』を語るのはあまりにも無粋なんじゃない?とは言っておきます。

 そして、ハイテンポな編集と独特なアングルは庵野印の宝庫ですね。具体的に言うと、庵野監督の初実写映画『ラブ&ポップ』を想起しました。この映画は、電子レンジに置かれた皿からの視点が登場するなど、驚くようなアングルが多くありますが、それは『シン・ゴジラ』にも引き継がれている。ノートパソコンからのアングルが出てきたときは、思わず笑ってしまいました。

 牧 元教授として、岡本喜八さんが写真出演しているのも驚いた。緊張感あふれる会議シーンなど、岡本監督へのオマージュが見られる『シン・ゴジラ』らしい配役だと言えます。さらに牧 元教授といえば、劇中での役回りがもろに『機動警察パトレイバー the Movie』の帆場暎一なんですよね。これも意図的なんでしょうか?

 他にもいろいろ考えてしまうことがあるのですが、それに対する筆者なりの答えを見つけるために、もう何回か『シン・ゴジラ』を観ようと思う。それでは行ってきます。

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