世界を変えるのは、世界から逸脱した者たちだ 〜 映画『この世に私の居場所なんてない』〜



 今年1月に開催された、第33回サンダンス映画祭で審査員グランプリを獲得した『この世に私の居場所なんてない』が、早くもネットフリックスで配信されている。このことは映画業界にとって何を意味するのか考察してみよう...なんてリード文の記事ならPV数も稼げるのかもしれないが、ただの映画好きに過ぎない筆者は、そうした業界話にはあまり興味ない。もちろん業界話をするのは自由だが、それ以上に筆者の興味は作品自体に向いている。仕組み云々より、作品についてあれこれ語るほうが楽しい。いまはその楽しさが圧倒的に不足していると感じる。


 さて、肝心の内容について語ろう。本作は、ジェレミー・ソルニエ監督の『ブルー・リベンジ』(2013)で主演を務めた、メイコン・ブレアの初監督作品だ。ジェレミーとメイコンは幼なじみだそうだが、本作にジェレミーはプロデューサーという立場で関わっている。俳優としてだけでなく、監督としても世に送りだそうというわけだ。タイトルはどこか牧歌的な印象を抱かせるが、殺伐としたヴォイオレンス描写が随所で飛び出したりと、かなりドライな演出が際立つ作品だ。このあたりはコーエン兄弟の作品群を引き合いに語れる部分であり、本作の魅力ともいえる。


 だが、本作の最大の魅力は、世界から逸脱した者が自分の居場所を得るところにある。物語はメラニー・リンスキー演じるルースを中心にして進むが、このルースがとことん世界と噛み合わない。家の庭にウンコした犬の飼い主に注意しても淡白な返事をされ、盗まれたパソコンの在り処がわかったのに警察は動かない、さらに自分の悩みを言っても「あんたより大変な人は多い」と返されるなど、ルースの気持ちは徹底的に世界から排除される。



 しかし、そうしたルースを理解する存在が現れる。それがイライジャ・ウッド演じるトニーだ。実はトニー、先に書いた犬の飼い主だが、ルースがトニーの家に訪れたことがキッカケで2人の間にはぎこちない繋がりが生まれ、物語は大きく動きだす。まず、ルースはトニーと、盗まれたパソコンと祖母の形見を取りかえす。だがその後、ルースは無理やり強盗の片棒を担がされ、トニーはめった刺しにされて死にかけるなど、さまざまな災難に見舞われる。それでもなんとか災難を乗りこえ、最終的にルースは自分の居場所を見つける。ラストでルースが見せるしたり顔は充足感でいっぱいだ。


 こうした本作は、奪われたものを取りかえすというストーリー展開に、優しい励ましを込めている。最初は世界に理解されないルースは、トニーという理解者を得て、奪われたものを取りかえし、最後は自分の居場所を得る。この流れから読みとれるのは、世界に理解されないとしても、誰かが必ず理解してくれるはずだという切実な想いだ。事実、ルースはトニーと出逢ったことをキッカケに、自分の人生を少しだけ色鮮やかにし、目の前の風景を変えてみせた。

 本作は耳元でこう囁きかける。理解してくれない世界を変えられるのは、その世界から逸脱したあなたなのだと。

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