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雨の一日、ただうっとおしいだけではない。雨の音にこころ休まる気もある

 朝は、日の出もあった。小粒の雨が頬にかかる程度だった。路上は、濡れていない。そんな朝、天気予報は、台風を含め梅雨入りと、完全に雨模様、夜には大雨ときついお達しだ。
 モチベがあがらないといっても、落ち着いた平静である。なにをするわけではない。現役時代のように、雨が降ったらああして、降らなかったらこうして、なんか考えもしない。
 ひたすら時の進むのをともに感じるだけ。
 あと何年、こんな暮らしが続くのか続けられるのか
 梅雨入り、五月も終わりというのに、ほんのちょっと離れた農地には、田植えの気配もない。もうすぐやるぞと農家の人は、苗やトラクターや、いくぞってスタンバイしているのだろけど。見えない。
 私は、農業をしらない。
 父親は、あれやこれやと転職を繰り返して、ようやく40代半ばで大企業で拾ってもらって、私たちの家族は糊口をしのぐことができた。ラッキーだった。母は短時間労働で、今から考えると、たいした収入はなかっただろう。贅沢以前に、貧困家庭であっただろう。
 それはいい。終わったこと。
 いま、私は、年金生活で何不自由はない、静かに日々を送っている。
 二つ下の妻と未婚の娘たちと結婚して自立した次女の息子(孫2人)、それが幸福の大前提になっている。
 世界戦争の懸念、自然災害、経済変動不安材料は、多々あるものの、なんとか当分は生き延びていけそうな感じ。
 一朝事あれば、70を過ぎた老人、もはや何もできない。
 戦争だけじゃなくても、大地震大津波等々があれば、どうすべきかはわかっていても、実行する体力、気力がない。
 歴史好きで、こんな場合、隠居した老人、浅井長政の父久正、北条氏直の父氏政、信長や秀吉と対抗させて、結局、最後は切腹で責任を取らされている。煽った罰だ。ほんとうかどうかは知らない。
 どうでもいいことだ。
 雨がしとしと、そのうち本格的に横殴りの雨になるかという夜、いまは静かに時間が過ぎていく。
 シェルブールの雨傘なんて映画や音楽があった。
 しっとりと落ち着いて時間が過ぎゆくのを愉しみたい。
 この時節、季節の変わり目、電気カーペットで足の裏を暖め、上半身は、窓を開けて扇風機で冷やす、変だけど。心地よい。
 また明日もがんばろう、なにをがんばるかは別として。
 一日いちにちを充実させて、後悔のない一日を過ごそう。
 おやすみなさない。

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