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11月、身体と心に大切そして危険な月

 まもなく年末である、クリスマスもある。次に正月がある。それらは、人人間の勝手な歳時記みたいである。ほんとにそうだろうか、この大自然、それ以上の大宇宙、人間などの測りしれない遥かな大きなものが支配しているような気がする。

 生命とか物質とか、なんやら言っても、それを造り出したもの、維持し存族させている何か、神と仏とかいうレベル、あるいは科学とかいうものであうらない、遥かな広大な存在する気がする。

 そんな大きな存在の中で、我々人たるものは、1年、この地球が好転し、太陽や近所の惑星との力関係やなんやで、この瞬間瞬間を1年、そして1月、1時間、1分、1秒などとして理解、生活しようとしている。それは人間が決めたようで、遥かな神的存在が決めているのだ。人間は、それを経験上、何代も何代もわたって法則性を理解したに過ぎない。この数千年の間に、体系化し得たのは、ここ数百年であろう。

 アリストテレスやプトレマイオスなぞというギリシャの哲学者・科学者たちが、それ以前の伝承を人々に広めていったものと思う。専門家ではないから知らない。

 そのなかの11月、10月までは、人が生きてい行くのに適切ないい季節である。太陽は明るく、寒くもなく、暑くもなく、生活しやすい。当然、日々が快く過ぎていく。12月は寒くても、寒さに人々は慣れ、もうすぐ新しい歳が始まるという期待感のもと、活力が出てくる。

 寒くなる、暗くなる、それは人を困らせる、暗くする。明るさが減って、視界が暗くなる以上に、それに伴った心と精神が暗くなる。体も、それに伴って、体力、免疫力、気力などが落ちていく。

 こんな一か月は重苦しい、早く過ぎ去ってほしいものだ。私も、気をつけているにもかかわらず、風邪をひいてしまった。

 新しい月をこころから待っている。

 ほんとは、それは人間の勝手なんだが。

 なにかがそうさせる。

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