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私の歯、いろいろあった、大事に!

 今日も歯医者さん通い。ほんの少しだけの同年代男性。待合室の壁にはマラソンや歯科医としての新聞投稿記事、中の治療室の壁にはアラビア風の景色のジグソーパズル、なかなかお人柄が偲ばれる。
 歯のこと、様々な感慨がある。
 小学校時代、虫歯なんてなかった。
 甘い物なんて考えや予想もできない極貧の生活、父が仕事をしない、できない、続かない。悪い人じゃない、世渡りが下手、喧嘩したり、人間関係に問題があるわけじゃない。幼稚で温厚、他人から玩具にされる、精神面での病気はないが、要は仕事ができない人なのだ。
 幼い頃は、それが理解できなかった。
 40歳半ばで、あの大NHKに労務職、昔風にいうと、「小使い」で雇われた。それで私たち家族の生活は一変した。安い給料と言われながらも定期的かつ確実な収入、そのうち、同じくらいの年代の旧国鉄へ高校野球から社会人野球でならした叔父の給料を抜いた。伸びていく企業と労働争議と落ち行く停滞し非生産的な鉄道会社の違いであろう、そのうち国鉄はJRになった。JRでも、東京や大阪、東海は、まだいい、四国は北海道とともに自立自営は無理。いまのJRとは、全然、違う。酷い会社だった。
 どんどん状況は厳しくなった。
 数年前、四国遍路で四国でJRに乗ったら、JR西日本とは、全然、電車内での雰囲気や職員の士気も違う、哀しい定めだ。例えば1両でワンマン電車、関西では、お目にかからない、ローカル線にいけばあるかもしれない。舞鶴線でもなかった。駅員がいない無人駅ばかり。
 四国は関西地方にととに生きていあkせてほしい。出身者として、そう願いたい。無理くり独立しても存立できない。
 話は歯へ戻す。
 虫歯にならない生活、様々な影響がある。生活全般、歯磨き、歯ブラシ以前に、そういう躾どころではなかった。
 小学校高学年で、虫歯のない生徒でクラス一番、女子の一番とともに、どっかへ行かされた。変な記憶だった、夢や想像ではない。
 またテレビの取材で、生徒全員で歯磨きの番組、歯ブラシ持たないから、手持ちの鉛筆で口を抑えていた。するとカメラマン、面白がって、その私を撮影した、どうでもせえって感じ。
 しかし、それがテレビ放映された。もちろんテレビなどはない。
屈辱的というのを実感した。いろいろ思った。
 あのマリー・アントワネットがフランス革命のとき、パンよこせ!の市民に、パンなけりゃケーキ食べたらって、その状況である。
 こどもの頃から、なんでこんなに親の差で、こどもが差別されるのかと心から感じていた。
 いま共産主義国家のトップ、プーチンは戦争で父を亡くし、習近平は父は共産党幹部だったが、毛沢東の永久革命方針の文化大革命で5年も農村へ、北朝鮮の金正雲は祖父から3代のトップ、どういう状況で育ったのか、私も青少年の頃は、いろいろ考えた。
 しかし、社会での不公平、不公正はどんな体制や状況でも変わらない。
 そんなこんなで大学は中退、引きこもり生活が数年、いつまでもそんあことしてられないので、社会参加(復帰ではない。)した。
 運転手、そしてエッセンシャルな公務員39年、なんとか普通に生活できている。
 しかし、いまもって理想の社会は全然、できていない。
 チェ・ゲバラや理想社会に憧れたものの、現実は、その反対方向に進んでいる。人間では無理なのだ、あり得ない。
 引きこもりで、栄養状態は極めて悪く、歯磨きなんて全然、考えもできない。故郷を捨て、エッセンシャルの公務員になって、夜勤を希望し、非番を利用して頻繁に歯科医に通院した、多くの歯を治してもらった。
 治療費など問題ではない。
 差し歯、金属ブリッジ、虫歯治療いろいろな治療を受けた。
 いまは70歳、もう入れ歯でも珍しくない年齢になった。
 いい歯科医のお蔭で、無事、食事もできている、歯科助手のお姉さんのおお蔭で歯の手入れの仕方、様々に習っている。いまは支障はない、ありがたい。
 いずれ総入れ歯ということになろう。
 しかたない。
 でも最後までお世話になろう、ちゃんと先生方のいうことをきいて癌bなろう。いつまでも死ぬまで、治療してもらえるように。
 できれば少しでも自分の歯を残したい。
 いろいろな思いがある。みんなそうだろうけど。
 歯科治療を受けて、考えた。
 人生いろいろ。 
 長々とすみません。歯と近視と、いろいろ。

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