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読書感想文「小説伊勢物語 業平」を読んでーその前に

 読書三昧、少しなりと読書が趣味と公言するようになったのは、高校生の頃、工業高校電気科という男子だけの世界、高校全体が無骨、女子はデザイン科や工芸科という名称の学科に点在するだけ。就職を前提に学び、教師は、ほとんど厳しい実科教育、職業人即戦力養成が主目的、先生方にも厳しい序列や雰囲気があった。居眠りでもしようものなら、チョークが飛び、出席簿を盾に、口角泡を飛ばす、怖い学校であった。いじめとか勉学とか愉しい男女交際とは、まったく別世界だった。

 それなりによかった、私には。

 先生の指導のとおり勉強や指導に従っておれば、あとは自由なのだ。

 最初の一年半、専門科目に必死で勉強、元々文科系の人間であり、数学や物理はあまりなじみはなかった。電気科を選択したのは、生まれながらの依怙地、理屈っぽい性格、社会で生きていくには技術を身につけないと、今で言う良好な人間関係など無理、空気を読めないなどの性格からだ。

 就職して社会のひとつの部品・コマになることに嫌気がさし、大学へ行くことを親にも相談せず、なんなら新聞配達でもして大学へ行こうと進学の道を選んだ。受験勉強しているうちに、理科系工学部から文科系法学部へ進路変更、貧家であることの哀しさ、幼児の頃から身に染みていた。なぜ貧乏なのか、倉庫を改造して、寝ているとネズミが走る家に二間6畳に一家四人が住む。従兄弟は、自室を持ち、多くの雑誌、プラモデルを持っている、私には、到底無理な環境だ。そういう反社会的思想もあった。そういう家庭に育った人も多いことだろう。その一人だった。

 私立大学へ入学して、あまりの環境の違いと志の中途半端さから、僅かの期間で中退、数年、ひきこもりとなった。その後、社会で出て、さらに故郷を捨てる挙に出た。結婚し、子もでき、転勤を繰り返した。いまでは、可愛い孫も二人いる。そうして公務員39年、退職後、大学職員・アルバイトを経て、現在は年金生活者である。

 で、ようやく、好きな本を読めるようになった。

 小説伊勢物語 業平は、著名な小説家が、古典伊勢物語を小説にしたものである。受験勉強で、当時の古典Aという簡易な実業高校生向けの科目による古典授業でしか学ばなかった。自分独自の樹形勉強で普通科の古典Bに太刀打ちのは非常に困難であった。なんとかよく出るところだけは知ってはいた。図書館で、つい見かけて借り出しした。もともと藤原定家が大好き、それの流れもあった。

 イケメン貴公子が高貴な女性との恋愛を綴ったものではある。若い頃は、源氏物語と同じようなものと思っていた。恋愛は、人生の花である。それにのめりこむと、道を間違えやすい。すべてを放擲しても、恋愛感情に走りがちだから。

 私個人としては、この小説のなかで、業平の母伊都子内親王の財産管理をしている藤原国親と業平の会話のなかで、「私めには、業平殿のように数多の思い人は居りませぬ。これまでもこれよりも妻は一人にて、あれこれとざいませぬ。」、これに同じ気持ち。いま現代は、男女共同社会とやらで、いろいろな機会があるけれど、基本は同じ。業平のように、花から花へと平然と移っていけない。

 いまのイケメンや男女関係が原因で離婚・再婚を繰り返すのも、同じこと。時代は変わっても、男女は同じだろう。

 などと思いながら、この小説を読み終えた。いい本であった。

 次は、ほんものの古典で読もう。

 つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はありしを

               在原業平 時勢の歌

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