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富士登山の想いで(3)

 富士山に三度登って、この回想録も3回目。一個人の想いで、1,2回は、それなりに山小屋に泊まった。単独行、誰かを誘う一緒に行く、愉しだ老が、体力や富士山や登山に対する思い、考え方が異なる。遭難というと大げさだけど、なにか事故やトラブルがあったとき、対応できない。
 だから単独行、なんでも、例えば四国遍路や西国巡礼、険しい山道ではあるけれども、結構、整備されている。やはりお遍路と称して、修行や地域を愛するこころがまだ十分機能していることが感じられ、あまり危険は思わなかった。それでも最低の心構えや準備は必要だ、迷惑を掛けないためにも。
 富士登山、いちばん凄い、危険、どうにもならないと感じたのは、
 大きな大きな岩、ゴロンゴロンと転がり落ちていた場面、
 日中、いい登山道を歩いていると、雲がかかり真っ暗になったこと
 小火山というか、あれが安永の噴火口だったのかもしれないが、人一人で歩くと、ほんとでっかい。そこを歩いた、道ができていた。
 大自然、人間なんて小さいものだと痛感した。
 何百年何千年何万年か、それ以上の時の流れがそのまま
 日本人は、富士山を神と崇めて、観光半分で登ったりはしない、登るとしても半分宗教行為がかっていたと思う、きっと。
 幕末、外国人が女連れで登山したのを見て、驚きと言うか、神を怖れぬ行為と思ったことだろう。生麦事件など起きるはずだ。あれで薩摩藩、グッと人気や支持が出たのではないか。
 いろいろなことを想う、さすがは、日本一の山、ただ高さだけではない、日本国の象徴だ。同じ象徴でも天皇さんとこは、姪っ子様が30億円の豪邸で一人住まいとか。
 富士山は、微々たる人の世界なぞ意に介しない、素晴らしさがある。
 もう登ることはない。
 御年70歳、ロシアのプーチンより一週間遅れの老人
 富士山を見て感動しよう。
 あの素晴らしい愛をもう一度
 ちなみに、3回目はいま外人が流行らせている弾丸登山でした。
 登山は昼間がいい。
 空は晴れて雲一つない。頂上がずっと観えた。神社の鳥居めざして、何度も寝転んで疲れを取り、そして起き上がって、ついに天辺まで着いた。
 あの喜びは一生忘れない。
 似たような人がたくさんいた、老いも若きも、男も女も。
 それはそれでいんじゃない。
 ご来光はみなかったけど、昼だから。頂上売店で買った1本500円ポカリスエット、一気の飲み干し、青天井を見上げた。
 青天を衝け!って。

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