見出し画像

年寄りの冷や水、ほどほどに

 ミネルバァ書房発刊『赤松氏五代』を読んでいる。
 明石に住み、リタイア後、趣味的に、乱読している。郷土の歴史というほどではない。赤松円心、満祐とか、日本史のオールジャパン的な存在、詳しくは知らない。どこでも、誰でも、そうだろう。
 兵庫県といえば、黒田官兵衛、大石内蔵助が思い出す。
 南北朝の始め、鎌倉幕府に対抗した後醍醐天皇に加勢した赤松円心、楠木正成や足利尊氏に隠れて、たいして有名ではない、天皇親政に大活躍した。赤松満祐、自分を除こうとし将軍足利義教を宴を設け誘い出して暗殺した。その分、室町幕府によって殺された。少し後の明智光秀と同じ。
 前書きは、このくらい。
 おもいついて、赤松氏の本拠地、兵庫県赤穂郡佐用町にある白旗城、白幡山へ現地見学をしてみようと思った。
 私の住む明石から、車では2時間、それから街を散策しながら登山、5時間の行程、行く気になった者の、しまらくして辞めた。夜には、雨との天気予報、後日実行に変更した。
 ただ、昔のお城を見学、これが実は、あまり面白くない。それらしきものはあるが、至って殺風景、なんにもない。せめて中国の万里の長城みたいな感じがあれば、それなりに観光気分、歴史好きには、また行こうって気になる。
 ユーチュウブに、その動画があった。やはり険しい山道となんにもない山のてっぺんだけ。風景は良さそうだが、兵庫県のもっと北にあるスキー場ハチ北から北を見て、あれはロシアだ、その方がリアル。見えるわけがない、日本海独特の濃い青色と遠く微かに何かがあるって感じが、ロシアって。
 過去にも、広島に単身赴任しているとき、電車を乗り継いで、吉田城、毛利元就が広島に根拠を置いていた先祖の地だ。吉田駅、面積は広いが、人は少ない。駅から町へもバスも少なく、街からは歩きに歩いた。
 そして城跡、山城で。いろんな看板、「マムシに注意!」なんて、観光地にあるとは思えない内容、ただひたすら登り。毛利氏に永年、敵対した尼子氏の居城、月山富田城、これまた山城、似たような城跡だった。
 城跡以外には、なにもない。
 万里の長城の麓には、売店、販売員には、日本語のできる別嬪さん、中国人とは思えないほど落ち着いた、爽やかな女性だった。
 関ヶ原古戦場も、また同じ。三成の本陣、大谷吉継討ち死の場所などを廻った、小早川秀秋が関ヶ原全体を眺めて去就を決めた松尾山の陣所、これもただの山、とても数万の軍勢が、山の頂上で鎧兜を身にまとい、鉄砲や刀、その他食糧などを持って長期滞在できる場所ではない。
 そして誰もいない。夕暮れ時は、寂しそう、とってもひとりじゃいられない。
 なんやかんやで、思い付きの山城見学は、中止。
 年寄りだから、途中で倒れると、皆さまに迷惑をかける。
 これを年寄りの冷や水というのか、どうかわからんけど。
 赤松満祐、気持ちはわかる。なんか親近感が湧く。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?