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朝の月、そしてルードヴィッヒへの想い

 いつもながら月との対話である。言葉ではない、何か心情的な対話
 昨日に続き、ルードヴィッヒ、まだ25歳ぐらいか、有為転変というか、特に強い意思もなく、とりあえず故郷を捨て、エッセンシャルな公務員になった。なんとなく試験に合格して、東京へ6か月長期研修へ行った、生かせていただいたというのが本音だろう、その頃はただの流れ。
 工業高校、大学なんて、正直、語らう相手もなく、分不相応の私学へ入った。地方出身の何にも知らない、ただ狭量の質朴なだけの男子、ほんとはたいていそうなんだろうけど、情況や先々を見誤って中退、その後、引きこもり。3年やって、弟の大学進学に合わせて、自分は社会参加、これまた手探り、新聞広告で運送会社へ就職した。
 ほんの少し社会に慣れて、1年後、故郷で出た。
 もとより文系、東京を歩いて、フッと岩波ホールなんて、明らかに文化的雰囲気、そこで観たのが「ルードヴィッヒⅡ世」、歴史もの大師大好きだった。そっち方面へ進学すればよかったなんてのが、また間違いの元だった。
再受験してと中退、心と頭が混乱して受験勉強どころじゃなかった。
 まったく「青春の蹉跌」か「車輪の下」だ。
 このルードヴィッヒ、ドイツ、バイエルンの王様、あのノイシュベンシュタイン城(よくドイツ観光名物にでてくる白いお城)を創った人、最後は少し変になって、湖で自死したとか、あの頃は、自分の現実世界と読んだ本の内容とが、夢うつつなところもあった。
 いまは現実的で冷ややか、それも仕方がない。
 ワーグナーやニーチェやショーペンハウエルなんて。ドイツ語も知らず、知ろうともせず、ただ好きな世界に入り浸っていた。
 少したってからは、西行や長明や。ついには弘法大師までいろいろ彷徨った。
 とはいいながら、仕事も投資していただいた分、厳しくなり、また結婚もしたり、こどもも4人できたり、なにゃかやと忙しかった。
 こうしてハッピーリタイアメントで、呑気に、ごたくや能書きを並べて日々暮らしていけることに感謝している。
 ルードヴィッヒ、青春の1ページだった。
 みんな若い頃は、同じようにドタバタ、だんだんおっさん化して、ああやこうやっと。人間ってなんて愚かなんだろう。
 あとはまったり。
 ここまでくると、我、事において後悔せず。前を向いて倒れよう。
 ぎっくり腰&積年の腰痛も、それなりに回復傾向にあるし。
 今日もがんばろう!

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