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図書館本『寺院消滅』、『「自己啓発病」社会』ちょっと考えた、どっきり

 『寺院消滅』これは読み終えて、図書館へ返した。
 仏教寺院の歴史、いまある仏教寺院や神社の正当な歴史、学問的な宗教としての寺院というよりも、庶民の一人として生まれ育った人間が、お寺とか神社と言ってそれなりに敬意を払ってきた宗教的な組織や建物、そして僧侶や神官、その実態と今後の展望である。
 遥かに偉い人たちのことは知らない。
 葬式があれば、御導師様とか言われて、頭を坊主刈にして袈裟を着て、お経を唱える偉い人のことである、神官は、神社で行事のとき、神さん棚、檜造りの祭壇で奉幣を振って、何事か祈って、祭事を指揮するえらい人のこと。その程度の認識、別にそれ以上のことはない。
 おそらく、先祖代々、みんな、ほとんどそうじゃなかったかと思う。
いま流行の統一教会とか、政治活動をしている宗教団体、その他いろいろ、たくさんある宗教団体に属して、活発に活動している人とは違うと思う。
 私は、そういう意味では、非宗教的、いいのか悪いのか日本人。
 葬式仏教、特に感じたのは、戦争に敗れて、アメリカ軍のGHQの指令により実施された農地改革、それまでお寺や神社は、大地主であった、徳川幕府の宗教政策、領民管理でいまでいう行政の末端まで任され、その代償に、土地を与えられ、小作に土地を農地として貸し出して、大きな収入をあげていた、それが農地改革でほとんとなくなった。
 はたまた明治初期に、「肉食妻帯勝って足るべし」のとのお達しで、僧侶は、おおっぴらに結婚し、肉食もかまわないとの許可が出た。
 それでいまのように葬式仏教と言われるような、お布施や戒名で収入を得るようになった、とのことである。
 そうは思っていた、ほんとに、そうだったのかとの思いもある。
 この本は、お寺が、どんどん経営が成り立たなくなっている。
 いまの個人社会の成り行き、お寺は、なくなるって感じ。
 驚き、さもありなんと思いつつも、さすがに社会変化に驚く。
 もう一冊の『「自己啓発病」社会』、これまた、日本人、小学校以前から社会風潮もあって、頑張れ、勉強して立派になれと競争させられてきた。個人的には、あまりその気にはならなかったけれども、そういう評価が幅を効かしていた。負けるな、頑張れ。いい子になれって。
 そうじゃないと。
 そうかもしれない。
 組織人になっても、上になったらなっただけ、ストレスや人間関係、いろいろつらいことばかり。報酬が多くても、自分の時間も上や横や下の機嫌をとるために、いやなことばかり。
 そんなに自分をすり減らして、なにが得られたのか。
 辞めたら、それで御仕舞い。
 マイペースで生きるのが、一番だ。
 今日、読み終えた一冊の本、心に響いた。まだ少ししか読んでいないもう一冊、なにが人生にとって大事か教えてくれる、そのうえで残った人生、愉しく生きよう。
 さぁ明日に向かって、もう寝よう。明日があればの話だが、たぶん、まだある。

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