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ベッド設置のため万年床にした、その気分、あわすのだ

 快晴、真冬なのに、青空、コバルトブルー、しかも温かい。いい一日。

 寄る年波で、狭い自室、いわゆる四畳半。そこに三つの書棚、本箱を置き、あろうことか電子ピアノ、弾ねないのに、そううち弾くぞと言いながら、御年69歳。捨てられない、開いている中央に座卓を置いて、デスクトップパソコンを補助台、とても歩くのさえ難渋する。

 毎朝毎晩、当然、布団を敷き、押し入れに収納する。特に、朝、寝起きの折は苦痛以外の何物でない。終わったらホッとするとともに、疲れがどっと出る。つい最近まで、そんなこと考えもしなかった。フレイルの所為かな。

 改善策として、ベッド設置。もう手配済みだ。あとは、構想どおり室内に配置できるかどうか。なんとなくクリアした。寸法は。

 次は、気分的な問題。万年床になるのだが、当分、ベッドが来るまでは、ほんとうに無精者の万年床暮らしになる。気分もベッドにしないと、こんなはうじゃなかったなんてことは、絶対できない。

 もう二日経った、基本的に、私以外は、滅多に入らない。家族ですら。肺ってなんじゃかんじゃ、ひっくり返すのは、かわいい孫二人、月に一、二度思いっきり室内点検、あれはなんか、これはんなにかと質問攻め。あげくに意見が多い。可愛いものです。

 実際、万年床、ずっとやったことはない。親の家にいたとき、学生時代、就職して相部屋・個人部屋、結婚してからも、ずっと布団はその都度、敷いて、あげて、単身赴任していたときも。

 さて二日経って、なんかほんとうに狭くなった。

 我慢して、この生活に早くなじもう。ベッド生活。それもいい。

 気楽と言えば気楽、新生活だ。

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