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渡辺淳一全集第15巻後半「長く暑い夏の一日」を読み終えて

 今月読了した最初の本である。『白夜』は第14巻からの引き続きで長い小説、著者が、文学か医学の選択に迷って、とりあえず医師の道を選んだ。
次の医師となって様々な経験をしたのち、15年の経験によるベテランとなったが、臓器移植というショッキングな情況に出会い、勤務して大学病院講師の安定した地位を捨て、芥川賞・直木賞の候補にはなっていたとはいえ、まだ困難の予想される小説家の道を選んだという小説、著者の伝記である。
とても面白く、男の人生、見習いたい。みんな、それなりの紆余曲折はあるけど、このパターンほど印象的ではない。やりかたしだいだけど。

上は『白夜』渡辺淳一著の一代記
下が、今日のテーマ
 

 さて、本題に入る。
 渡辺淳一著『長く暑い夏の一日』、筋は、腎臓移植の話。
 腎臓は二つある。一つ移植を受ければ、なんとか通常の生活はできる。
私にも入院経験はある。肝臓だけど、医者に、入院は、いつまでかと尋ねると、女の医者は、「そうねぇ、1カ月から死ぬかね。」、おおきな病院で、入院と決めた医者と、その後の担当医とは違う、その女の医者とは、会うことはなかった。
 担当医も、滅多に来なかった。入院した1か月少しの間、「どうですか。」と2度来た。急性肝炎は、養生だけ。朝晩点滴打って、寝とけばいいって感じなのだ。食事も、レバーやシジミ的な副食、あとは普通、だのに入浴は禁止、9月でまだ暑いけど、昼間はエアコンが入っていた。
 夜午後9時になると、エアコンが切れる。
 患者同士で、
 「こんなとこの蚊は怖い。」
 「どんな病気、持っているかわからん。」
って会話がよくあった。病院ならではのこと。
 また、入浴解禁になって、喜んで湯舟に入ろうとしたら、止められた。
 また、同じ。なるほどとは思って、シャワーに。
 さて、また元へ戻る。
 腎臓病、隣のベッドの人、腎臓病のようだった。医師は、頻繁に訪れる。
聞こえてくるのが哀しい。
 「退院しても治ったとはいえない。力仕事や体力を使う仕事は無理。」
 その人は、建築業で現場監督らしい、若いけど。
 奥さんか彼女、よく泣く。
 「誰か他にいい人探してくれ、俺は、もう無理だ。」
 とか、はたまたお母さんが、
 「あんたが、こんな病気になって、どうするの。」
 って。その人のせいじゃない。山上哲也や谷本盛男や青柳なんやらじゃないんだ。本人は、ほとんど悪くない。詳しくは知らないけど。
病人ってつらい。
 私も、肝臓が悪くなったこと、役所や同僚がああやこうや言っているのは、聞いた。定期昇給延伸にもなりかけた。
 30年も経って、ひょんなことから、集団予防接種が原因らしいとのこと、血液検査を何度もやったが、数値が低すぎるのと、後遺症がないとのことで、私自身で早々に諦めた。わかれば、それでいい、確定的じゃないけど。

 さてさて、やっと本題。
 腎臓移植、移植提供者が発生、都心から箱根、腎臓を取りに行く。まだ心停止ではない、提供者の妻と母や兄で、腎臓提供の意見が割れている。結局、脳死まで持ち越しの末、提供に合意、これがまた様々な問題発生、内容は理解できる。
 東京へと出発したが、途中で事故に巻き込まれ、主人公は、パトカーや電車、新幹線に乗り換える、そしてなんとか腎臓は移植に適した状態で、移植手術になり、成功した。
 いろいろある。臓器移植の様々な問題、移植手術そのものも専門医師は慣れているが、素人には、理解、共感するのが難しい。
 一連の渡辺淳一さんの小説、医師とは、医療とはと、いろいろ考えさせてくれる。それが現実だろう。医師も人、医療も仕事、きれいごとばかりではない。それを理解したうえで、医療を受けたい。
 渡部先生、ご存命であれば、今の延命治療や認知症治療など、いい小説を書いてくれるだろうと思う。
 

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