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眼鏡購入金額で思うこと

 昔、眼鏡は高かった。というより高い眼鏡を買っていた。中学2年、少し見えにくいなと親に話したところ、直ちに!病院の眼科で診察、なんで大げさなと思う間もなく、医師から眼鏡使用を指示され、眼鏡屋さんで眼鏡を作られた。父親も眼鏡をかけていたので、当然の流れだった。

 いま、それを悔やんでいる。不便な、ほんとのところは無くてもよかったんではないかと。

 つい数か月前、眼鏡の金具が撮れたので、眼鏡屋さんへ行って修理してもらった。いろいろ話を聞かせてもらった。遠近両用と思っていたのに、遠視ははいっていない。老眼もない、とのことにびっくり。確かに遠視はあまりないかもしれない、だけど近眼、乱視、老眼の三点セットと思いきや、近眼だけだそうだ。乱視も少々、あってもいいかの程度。

 絶対必要なのは、自動車運転の時だけ、危険だから。他人や車に衝突や危険な思いをさせてはならないのは絶対要件。それ以外は、もうリタイアしている身では、なくても大丈夫。テレビすら、何とかなる。読書や書き物は、ない方が楽。

 どうしてなのか、この50年。時には、コンタクトレンズにしたり、運転免許更新のたびに、眼鏡を更新した。そして高額だった。なんやかんやと高い物を勧められた。

 50代半ば、職場の同僚から安価な眼鏡のレクチャー、オンディーヌとかJJINとか、1,2万円で、これまで同様の機能。使い勝手、見え方の眼鏡に代えて10年以上、それで通った。

 母や弟が、緑内障や白内障で手術。俺は?全然、痛くも痒くもない。なぜだと不思議。大学に勤めた際、向かいの席の美人(52歳)が緑内障が出て、永年勤めた国立大学、非正規だったので契約してもらえなかったと嘆いていた。優秀な人だった、民主党政権の頃、官僚の言うまま、制度変更した。3年非正規は正職員にしなければ、契約できないと。企業の言うまま。はたして正職員にどれだけなったか、労働者の味方ではない。あの頃、非常に多くの、特に女性が泣いたことだろう。給料安くても、永く勤めて誇りや好きな職場を追放された。大学も企業も冷たい。それは余談。

 眼鏡って、結局なんだったのか。始めから自動車運転のためといおうことあれば、納得する。自他ともに安全徹底のためなのだ。当然。

 単なる飾り、日本人はのっぺらの顔だと、それを装飾するためならば、自分自身の顔形で行く。西洋人の美的感覚に合わせる必要はない。

 深く反省している。眼鏡をかければ賢く見えるなんてばかみたい。

 そういう虚飾が多い。

 例えば外車が多い。この神戸・大阪の衛星都市の住宅街、明石でも、まわりに、ドイツのBMWやアウディ、新車もあれば、大きな音のドがつく中古、おばあさん・おじいちゃんが運転している。

 私は好き好んで軽四、小回りは効く、燃料が安い、税金も安い。高速代も安い。場所をとらない。そう考えて、愛車としてずっと乗っている。狭い道路では、大きな外車やワンボックスは気を遣うだけ、事故があれば、大変だ。あの池袋の爺さん、つねに思い起こそう。人生、晩節を汚すとは、あの人のこと。

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