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“作り直すこと”が喜び

※本ブログは3度繰り返して読んでいただくと情報が有益なレベルにまで浸透します。


“作り直すこと”が喜びなのである。“練り直す”ということが豊かなのである。人はやり直しを実は楽しんでいる。それまで行ってきたことが無駄になる様な気がするから、やり直すことに対して残念になった様な気分になったりすることもある。しかし、その気持ちにも増して、再構築は豊かで価値のあるものだ。


私たちが履いている靴も、使っているパソコンも、日本語も、肉体も、記憶もすべて作っては壊し、壊してはまた作り直されてきた。今眼に映るすべてのものは何度ども何度もそうやって再構築されながら徐々により便利でフィットするものへと生まれ変わってきた。


もし人間に作り直そうとする姿勢がなかったから現代社会は一体どんな水準の社会になっていたのだろう。それはそれで見てみたい気もする。


作り直すことは、2つの参照点を必要とする。それはもっと良いものができるはずだ、という未来に対してのイメージと、既存のものが発生させている摩擦感に対するの認識である。現状において発生している摩擦に対して不満があっても、未来に対してのイメージや情報が枯渇していると再構築をするモチベーションは上がってこないし、摩擦感に鈍感だと自分が置かれている立ち位置が不明瞭で方向性を割り出せなくなる。


だから、多くの個々人は作り直すという人類が自らを前進させてきた根本的な取り組み姿勢を忘れて、現状を維持しようと盲目的になる。ところが、現状は絶えず刷新、それも大きく刷新していかなければ、衰退していくと法則は決まっているのだ。作り上げたものは作ったその瞬間から鮮度を落とし、劣化していくのが理なのだから。

再構築・やり直し・作り直し・ Starting Overを大いに楽しんだら良い。その最中が実のところ、出来上がった時・達成した時以上に楽しかったりするものなのだ。しかも出来上がった暁には、「なんで今までこんな不便なものを採用して生きてきたのだろう…??」というくらいに大概がなっている。


この世の中は一般には圧倒的に多数決によって採用されたものが普及している。それが民主主義の構造そのものだから。でも多数決とは必ず落とし穴があって、それは“個人個人には絶対フィットしない”ということだ。みんなが松竹梅の「竹」か「梅」くらいのフィット感しか得られないようなモデルなのだ。それはそもそも一人ひとりの人生も考え方も、異なっているのだから当然だ。多数決により採用されている情報はアジャスト(微調整)が苦手なのである。


だから世の中で「松」 とされているものがあなた個人にとっては「梅」なことはいくらでもある。しかし世の中の「松」を一度手にしてしまうと急にそれを手放すのは惜しくなったりする。そうして再構築させようとしない制限をかける意識が働き出す。そういったことまでソーシャル・プログラミングというのは計算されて敷かれている。


だから思い出そう。再構築することの素晴らしさを。何度でも作り変えながら物質ではなく、意識においての柔軟性・構築力を養っていこう。私たちは何度でも、いつからでも、何処からでも作り直せる。その力を与えらていることこそ人間が本来、有限ではく、無限の存在としての生きている証なのだ。

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