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コロンバス(detail,detail,detail)

観た映画の感想を書くことはあまりない。
不得手だからではなく、
いくらでも書いてしまうから。

小学生の頃から読書感想文など原稿用紙10枚でも書けてしまうので、
3枚まで、と限度を設けてもらうくらいだった。

映画はたくさん観る方だが、
あまり覚えられない。

『ミッドナイトインパリ』で
ハリウッド映画の脚本家の主人公が
観ている時は面白いが、記憶には残らない。
そんな映画ばかりだ、
と自身の仕事までも揶揄するシーンがあるが、
まさにそんな感じだ。

僕は気に入った映画は何度も観る。
2.3回とかではなく、
2.30回は軽く観る。
好きな映画は少ないが、
好きな映画が血肉となっているのは間違いない。

大好きな映画に出会えるのは2.3年に1本くらい。
しかしコロンバスは今まで出会った映画の中でも、
飛び抜けて好きになった。
だから書く。

中心人物は2人。
ひとりは高校を卒業して地元の図書館に勤めるケイシー。
もうひとりは著名な建築家である父が病に倒れ、韓国から見舞いにやってきたコリアン・アメリカンのジン。

舞台はモダニズム建築の街として有名な、インディアナ州コロンバス。

ケイシーはコロンバスの建築が大好きで熱心に勉強に励むが、
母と2人暮らしをしていて、母から離れて大学へ通うことに消極的だ。

ジンは父からの愛情を感じたことがなく、
なのに父に死の足音が忍び寄るときに寄り添わなければいけないということに矛盾を感じている。

そのふたりの邂逅により、物語は進んでいく。


大きな展開はない。
面白い話ではない。
これは断言できる。

徹底的に凝られた構図。
セリフに頼らず、表情で語る演技。
作り手の美意識。

涙は出ないが、
心は泣く。

モダニズム建築とは、
コンクリートやガラス、鉄などの工業品を使って作られた建築で、
機能性や合理性を追求する。
ともなれば、
この映画はまさにモダニズム建築のようだ。

ヒューマン映画だが、
わかりやすい人の温かさは描かれない。
鑑賞者の感情を揺さぶる表現をあえて避けている。

まず、昏睡状態で死の淵に立つ父の顔は一度も映らない。
それどころか、病室すら(ほぼ)映らない。
ジンと父が顔を合わせる場面もない。
家族が危篤であるという事実が物語の根幹を担う要素であるのに、
それをドライブさせない。
単に事実として、ジンの肩に重くのしかかる。

ケイシーの母は数年前、薬物中毒だった。
今は立ち直り、少しずつであるが仕事もし、社会復帰を果たしている。
それを示唆する描写はない。
しかしその事実は、ケイシーの肩の上に重くのしかかる。

そのいささか冷たい人物描写と、同時に映る美しいモダニズム建築の静謐さが、これは普通の映画じゃないと思わせる。


しかしながら人間らしさの描写も忘れていない。
ケイシーは事あるごとにタバコを吸う。
これは母が薬物中毒になったように、
ケイシーも何かに依存する遺伝子を受け継いでいるのだ。

そしてケイシーと同じ図書館で働く男が
ラスト近くにケイシーにある告白をする。
この場面が本当に素晴らしく、
灰色で冷たいモダニズム建築のような映画の中に現れた、あまりに豊かで優しいシーンだ。

「午前中ずっとかかって、ある文を直そうとして、結局はコンマひとつ取るに留めた。
午後、私はそれを元に戻した。」
これはアイルランドの詩人、オスカー・ワイルドの自身の逸話だ。

完璧な作品は、大きな展開に頼るのではなく、
ただ、
ディテール、ディテール、ディテール。

僕はこのnoteを読み返しながら、4度目の鑑賞に入った。

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