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【読んだ】原口剛『叫びの都市』

「釜ヶ崎」や「西成」といった地名で名指すにせよ、あるいは「寄せ場」や「ドヤ街」といった概念で示すにせよ、それによって定義される区域や意味、想起されるイメージや表象、またその空間編成等々が生成される過程と力学について。とりわけ語られるのは「空間」と「場所」を巡るポリティクスである。ハーヴェイやルフェーヴルによる地理学や空間論的転回を理論的なベースにしつつ、資本運動や行政権力行使と、そこに生きる人々による対抗、この双方のせめぎあいによって空間と場所が生成される動的なプロセスが描かれる。

労働者や生活者の対抗の手段は端的に「暴動」であり、本書はそれを一貫して肯定的に描き出す。条件は、「拠点性」と「流動性」のふたつである。暴動は権利要求手段となり得るものにも違いないのだけれども、むしろ著者は暴動による空間占拠を重視する。それは「多彩な実践が繰り広げられる政治的時空間を切り開く、創造行為」であり(P267)、さらには、産業資本が「就労契約場所」として生み出したドヤ街を「労働者みずからの空間」として概念拡張させる。そして暴動は、全国の飯場や寄場を渡り歩く活動家や日雇労働者たちによって伝搬する。それによって、孤立したイメージで語られるドヤ街は「山谷-寿町-笹島-釜ヶ崎」という流動の地勢を獲得する。ただし本書の末尾では、現在の資本による空間編成は、労働者から「拠点性」も「流動性」もどちらも奪っている事が示されていた。

こう言うのはやや憚られるけども、この本は無類に「面白く」、一気に読まされた。案の定、行政も警察も資本もやり口はめちゃくちゃ姑息で腹立たしいのだけど、同時に、そこに対抗し生きた人たちの姿はたくましく、「寄せ場(寄り場)」という動的空間のダイナミズムがありありと感じ取れた。著者が撮影したという釜ヶ崎の写真が全編に配されているのもとても効いていて、ジェントリフィケーションや記憶のリストラクチャリングに抗い、歴史と表象を労働者の手に取り戻そうとする強い意志を感じさせる。徹頭徹尾労働者と生活者に寄り添いながら論を進める筆致は一貫して熱がこもっているのだけど、同時に章立てはとてもクリアに整理されていてわかりやすい。注釈や図版もとても丁寧で配置も計算されていて、ホスピタリティもめちゃくちゃ高かった。

「暴動とは、単なる破壊行為だったのではない。破壊することそれ自体が、多彩な実践が繰り広げられる政治的時空間を切り開く、創造行為だったのだ。」(P266-267)


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