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第3回 「カネが欲しい」という単体の願望が叶わない理由

 今回の結論は「もっとカネが欲しいという願望は叶わない」ということです。あるいは叶ったとしても大きな犠牲を払うことになります。何故でしょう? それは「カネが欲しい」というのは願望の代替品であって、根源的な願望ではないからです。

 まずお金=貨幣というのは、本当に欲しいもの手に入れたいものの媒介物なんですよ。だからそのお金を使って何を手に入れたいのか、ということが自分にとって切実に明らかにならない限り、具体的な行動、もっと言うとタスクからジョブへの分解と落とし込みができないんです。

 お金が欲しい、服飾品が欲しい、美味しいものが食べたい、車が欲しい家が欲しい、というのは、実は売りたい側からの消費喚起のキャッチコピーにそそのかされているだけの可能性が高い。もはや願望のコピペ。

 これだけレジャー産業が充実して、今や「すきま時間」まで取り合いになるほどのレッドオーシャンですから、そりゃ享楽的に消費だけしてれば、いくらでも楽しませてくれますし、一方で無制限にお金がかかり続ける。じゃあ「遊ぶ金欲しさに」働くことになる訳ですが、それは苦痛でしょ? お金だけが目的化していると、「すぐに換金可能な自分のスキル」と市場の問題に回収されてしまって、これじゃあ儲からないなあ、という結論に至る他ないわけです。しかもね、産業から提供される「遊び」って、万人向けで大味なところがあるから、「飽きる」んですよ。猿の子孫たる我々は、学習能力もありますからね。

 さて、ここで即座に思いつく反論としては、じゃあ堀江貴文さんはどうなんだ家入一馬さんはどうなんだあの類のベンチャー社長は全員カネが目的じゃないのか、みたいな話だと思うんです。類ってこの場合「たぐい」と読みますから、この機会に覚えてください(笑)。でもね、彼らのインタビューをつぶさに読んでいると、カネの向こう側にある「本当に欲しいもの」をとても明確に持っていることを伺うことができます。それは何かというと、彼らは「自分が興味を持って続けられる事業がやりたい」ということなんです。だから事業をすること自体が自己実現となり得るし、結果的にお金も手に入る訳です。

 そのような特殊な願望を持たない我々は、それじゃあどうしたら富を手に入れることができるのでしょうか。あ、情報商材じゃありませんよ(笑)。

 その詳細については有料エリアに書きます。月に1度ドトールでカフェラテをおごると、4回くらい茶飲み話が聞けるコラムです。。猿の子孫としての性能とクセが残っている人類が、あんまりムカついたりひどいめに遭ったりせずに生きていくにはどうしたらいいんでしょうか。そんな話をし続けています。

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