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第0回 プロローグ 猿の子孫たち

 唐突ですが最初に結論を書きます、人間は猿の子孫であることから逃れられません。また、本能は既に働きを止めているため、人間が今から自然環境に帰ることは不可能です。

 人間を除く動物たちは自然環境に適応し、季節と連動した天候の変化と気温に即して捕食し、生殖を行い種を継続しており、各々の個体に搭載された適応装置は、しばしば「本能」と呼ばれています。

 最初に「人間以外は」と書きましたが、我ら人間の祖先はサルだった時代から、二足歩行を選択し、樹上生活を捨てました。自由になった前足を「手」として活用することによって大脳が発達、道具を使うことと連動して様々なアイデアを生み出し、それがさらに大脳の発達を促しました。

 群れとしての特性が道具を獲得することで集団的な狩りを行えるようになり、やがて有用な植物を群れの専有する土地で栽培したりすることもできるようになりました。

 その後の事はメジャーな種族の歴史の本などに書いてある通りですが、獲得した大脳皮質と引き換えに失ったものがあります。それは「本能」です。我々はもう、気温と湿度から雨が近づいて来る気配を正確に捉えることができませんし、食べられる植物と毒物を見た目と匂いで判断することができませんし、季節や気候など自然環境からのサインで発情することはありません。これらは人間以外の動物なら普通に行っている営みです。

 その代わりにかつて猿の本能であった残滓である欲求や欲望、のちに発達した大脳がもたらす負の働きである妄想や衝動によって突き動かされる生き物に、我々人間はなりました。それは悪い事ばかりではなく、猿の子孫の歴史の中で様々なアイデアは造形されて形になり、安全な建造物と清潔な食器、安心できる群れの集合体はより大規模な社会を形成し、脈々と受け継がれています。

 そして話は冒頭に戻ります。人間は、猿の子孫であることから逃れられません。と同時に、本能や自然から見放された存在として、自らの周囲に文明や文化、妄想を張り巡らすことでしか生きていくことができません。

 ならば、妄想から逃れられることを夢見るのではなく、妄想の中にいることを少しでも自覚して、妄想から生み出された文化なり文明がもたらす災厄を少しでも阻止したり、ましな方向に向かうための活動をするべきではないか? というのが基本的なスタンスです。

 具体的にはオモシロイ活動をする人や作品をほめたり、古今東西の妄想や妄言をコレクションしたりしますので、よろしくお願いします。

 仰々しく始まったわりに、なんか普通だけどな!

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