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たかが苗字、とは思わない

最所さんのnoteを読んで。
「アラサーの私が"結婚"をしたくない理由」
https://note.mu/qzqrnl/n/n95a4ea939d51

わたしは名前を変えることに自分が違和感を持つとは思ってもいなかった。プロポーズに感動して涙を流し、両家顔合わせで婚姻届の証人欄にお互いの保護者の署名をもらって準備は万端。

さあ肝心の当人たちの名前を書こうと思ったら、急に何かがこみ上げてきたわたしは、泣いて書くのをやめてしまった。

「なんだか急に寂しくなっちゃって。結婚したくないわけじゃないの、わたしがわたしじゃなくなる気がして。家族から離れてしまう気がして」

日取りに余裕を持っていたので、わたしが記入するのは翌日でも大丈夫だったのだけど、自分でもわけのわからない寂しさにただ涙が止まらず、婚約者に申し訳ないと思いながら泣いた。


最所さんのnoteを見る前にも、Twitterで仲良くしてもらっているお友達と話していた。

「自分のフルネームって強いアイデンティティを持ちますよね」

親からわたし自身に直接与えてもらった名前は下の名前だけれど、代々受け継いだ苗字もまた、わたしの大切な一部だった。だって30年近く旧姓と名前の組み合わせがわたしを表す文字列だったのだから。


自分の苗字が少し特殊だから、もし結婚できたら変わってしまうのは惜しいなあ、くらいには思っていた。変化の重みは、体験しないとわたしには分からなかった。

会社員のときに入籍したので、朝礼のときに「私事ですが」と添えて報告し、これからも変わらず旧姓で呼んでくださいと伝えた。とはいえ、法的にはわたしは別の苗字になったので、保険関係などの変更作業をお願いしなければならなかった。

今はフリーランスをしていることもあり、自由に旧姓で活動しているけれど、事務的なやりとりの際に「実は本名が○○でして、口座の名義が違うのです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」なんて添えるのがなんだかやっぱり少し寂しい。


実家の家族に「あっ、お前はもう苗字が違うんだった」というようなことを悪気なく言われたときも傷ついて悲しかった。

配偶者の両親のところで義理の娘として可愛がってもらうも、新米なので居心地が悪いような気がしてくる。

名前が変わることで、どこにも居場所がないような気がしてしまう、この感じはなんだろう。


夫婦別姓が公的に認められるとしたら、わたしは旧姓のままで居たいと思う。それは夫婦の関係や家族との関係とは別の話だ。

配偶者と同じ苗字を名乗ることが幸せに感じる人たちを、少し羨ましいなと思ってしまう。Facebookでの結婚報告と共に、名前を変える人たち。新しい名前が馴染んで、インターネット上の個人を呼ぶ名前が書き換わっていくのを、わたしはぼんやりモニタを通して見る。


戸籍の管理などの都合もあるのだろう。恥ずかしながらこの辺りの事情は知らないことばかりだ。

だけど、婚姻届を出さなくても、苗字を同じにしなくても、性別が同じであっても、家族になりたい人たちを家族だと国が認める仕組みになればいいのにと思う。

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#イラスト #エッセイ #コラム

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