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慣れではなく、麻痺だった。人見知りなわたしの処世術

人見知りは何かとドキドキして大変だ。生きていれば初めて会う人を避けるのは難しいし、人間社会は厄介だなと思う。

物心ついた頃から長いこと人見知りに悩んでいた。でも悩んでも人と会うのは避けられないし、毎回ドキドキして心臓が壊れそうになるのもつらい。だからそんな人見知りな自分と、ある方法で折り合いをつけることにした。

それは「たくさんの人と会いまくって慣れる」という、ショック療法みたいな方法だった。


Webの仕事をしていたこともあり、SNSをきっかけに知り合って実際に会うという機会が極端に増えた時期があった。多いときは何十人と一気に会うこともあったし、逆に1対1で女子トークみたいなこともあった。

小さな頃は、人見知りでうまく話せなかったり緊張する自分を強く感じていた。でも、そんな風に人と会う機会が一気に増えると、さすがに感覚が変わる。

低い声を少しだけ高めに、少しだけリアクションを大きめに、少しだけ意識して笑顔を見せる。そんなことを心がけて、相手とはじめて目が合うその瞬間までに心の中で準備をする。今思うと、まるでライブ前のアーティストみたいだ。

「ますぶちさん、テンション高いですね」
「面白い人ですね」
「SNSで話してるときと変わらないですね」

実際に会った人にそんなことを言われるとホッとした。でも、いつもとは少し違う自分を演出していたので、1人になると素の自分に戻る。家に帰るまでの長いあいだ、電車の中で「あしたのジョー」みたいに俯いて1人反省会をすることばっかりだった。

「あのときはこう反応した方がよかったかも。あのときも、ちょっと変なこと言っちゃったかな…」

人見知りを隠そうとすればするほど、テンションやリアクションでカバーしなければという思いはますます強くなった。だけど、わたしはその変化を良い方向に捉えていた。人見知りを克服しつつあるのかもしれない、慣れたのかもしれない、と。

でも、ライブでステージに立つような気持ちで人と会っていたのは多分全く変わっていなかった。慣れたのではなく、自分を麻痺させていたのだ。

心がけていた「少しだけ○○」は、積み重なって心を疲れさせていたのに、それでも人と会い続けていた。人見知りよりよほどタチが悪い疲労だったかもしれない。


この感覚は、香水や柔軟剤の香りに慣れてしまって感じなくなることに似ているな、と思う。使いはじめたときには新鮮だった香りも、使い続けるとあまり違和感を覚えなくなる。だからこそ具体的な対策が大切だ。

例えば、香水についてWebで調べていると、同じような文章をよく目にした。こんな文章だ。

「香りは慣れてしまうと自分では感じにくくなるので、プッシュ数を決めて同じ量を守るようにしましょう」

人見知りのように苦手なことをなんとかしようとしているとき、無理をしている自分に気づかないときがある。香水も、少しプッシュ数を増やしてみても変わらない気がしてしまう。そしてどんどん香りが強くなり、強い違和感を人に与えたりする。それは慣れたのではなくて、麻痺しているだけなのかもしれない。


できれば時々でも、自分が麻痺しているかもしれないという思考を持っていたい。人と会うのは楽しい。でも、相手の人柄や関係性にかかわらず、どうしても負荷になってしまう。多かれ少なかれ誰しもある感覚だと思う。

最近、自分の状態と照らし合わせて人と会う予定を入れるようにしている。香水と同じように、心の負荷のプッシュ数も守りたい。自分がそれに慣れているのか麻痺しているのかは、分かりにくいけれど大きな違いがあると思う。できれば疲れきってしまう前に気づけるようになりたいと思っている。

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