見出し画像

生きるために、遺書を書いた

小学生や中学生くらいの頃、大人になった自分への手紙を書き、タイムカプセルに詰めて土に埋めるというイベントがよくあると思う。けれど、なぜだか自分が未来の自分に手紙を書いた記憶は全くない。

そんなわたしが、自分にはじめて書いた手紙が、まさか遺書になるとは思わなかった。

※わたしは元気で生きています。「生きるため」にやってみたことですが、遺書という言葉に気分を悪くされてしまった方がいたら申し訳ありません。

3月になってからほぼ毎日マトモに眠れていない。ウェアラブル端末で計測した睡眠時間を見るため、専用のアプリを開く。計測には少し時間がかかるから、手持ち無沙汰でカーテンの隙間から窓の外を見た。まだ暗い空がだんだん明るくなるのを横目に過ごす生活にも、すっかり慣れてしまった。やっとアプリに表示される睡眠時間は、2時間だったり、3時間だったり。不眠に悩むようになったのは最近のことだ。ずっと寝すぎるくらいだった。

思えば、物心ついた頃から漠然と周囲の人と自分の違いを感じていて「つらさ」や「苦しさ」が入り混じっていき、年齢を重ねるごとに、理由もない虚無感からこのまま消えてしまいたいと願うようになっていた。楽しく過ごしたかった20代は転がり落ちるように過ぎ去り、今わたしは34歳、今年35歳。

20代後半に精神疾患の診断がされ、数年前に引っ越してきた今の家から近い病院に通い続けている。「場所と時間が決められて通い続けること」が心の底から嫌いなわたしが、コツコツ3年ほど同じ精神科に通い続けているのが自分でも信じられない。まじめに治療に取り組んできたつもりだ。それでも、いつも苦しかった。

遺書を書こうと思ったのは、今度こそこの世から消えようと計画を立てていたからだ。生きづらくてたまらず、何をしても誤魔化せない。手がつけられなかった。

---

わたしの「生きづらさ」は厄介なものらしい。それは、病状を話して薬をもらい、カウンセリングを続けていても全く手応えが感じられない。いつ治るのだろうと疑問が湧くが、薄々気づいていた。先月、主治医がわたしの内面について告げた言葉がすべてなのだと思う。

「あなたは、ベースの部分に”消えたさ”とか”生きづらさ”がある。その上に障害がある状態で、さらにパーソナリティの問題も絡んでる。”消えたさ”や”生きづらさ”をなんとかしていかなくてはいけない」

治療を続けていればきっと生きづらさは消えてくれると思っていたのに、そう一筋縄ではいかないらしい。愕然とした。

---

主治医の言葉がリフレインするある日。不眠に悩んでいたはずのわたしが布団から起き上がれなかった。わたしの障害には波がある。それでもこんなに急に巨大な「消えたさ」がやってきたことは今までに一度もなかった。わたしは積み重なった様々な苦しさにもう限界だと感じ、横になったままスマホを使い、人生を終わらせる方法を調べた。先月変えたばかりのiPhoneの顔認証は、横向きだと上手くいかない。パスコードを入れることすら煩わしかった。

勇気がないわたしは、一気にケリをつける方法はできそうにもない。だから、眠るように命を終えれるという方法に決めた。そうと決めたら、具体的なことを考えないといけない。今まで命を断とうと思ったことは何度もあったけれど、周囲へ迷惑をかけずにはいられないことが頭を掠め、やがて冷静さにつながり、実行できないで難を逃れてきた。

それが、今回は「もういいかな、手紙でたくさん謝って、心の中でも謝罪しながらあの世へ行こう」と決意が固まる。ストッパーが作動しない。

わたしは想像する。
旅立つときはいつもリビングで膝にかけているやわらかいブランケットにくるまろう。腕の中には眠る時に抱きしめるぬいぐるみを。側にはほぼ毎日書いている日記と、たくさん勉強した英単語集のDUO3.0。欠かさなかった香水と、賑やかしにキャラクターのぬいぐるみにも見守ってもらおう。コダックとぼのぼのがいいかな。それから、去年買って愛用しているカメラ、FUJIFILM X100F。

自分が命を終わらせていくときに側に置いておきたいものをひとつひとつ頭の中で想像してみると、意外と少ないものだなと思った。情景がリアルになっていくにつれて、どのモノにもある愛着が、胸をきゅっと苦しくさせた。もっと使ってあげたかった。もっとかわいがってあげたかった。少し涙が滲んで溢れそうになる。

そして遺書のことを考える。無印良品のシンプルな便箋に1枚書こう。家族や近しい人に個別のお別れをしたいから、それは別の便箋に手紙として書こうかな。つい先日かわいいパンダの便箋を買ったばかりだったから、あれを使おう。誰に書こうかな、どんなことを書こうか。

手紙の内容を、いつも文章を書くように考える。できるだけわたしがいなくなることを悲しまないで欲しい。一緒に過ごしてくれた日々に感謝したい。わたしが至らなかったことを、せめて一言でも謝りたい。

そう思い描いていたら、涙がぽとりぽとりと枕に落ち始めた。横になっているので、片方の瞳からは涙が鼻筋をまたぐ。ティッシュを引き出しては拭くものの、手紙の内容がどんどん思い浮かんできて、申し訳なさや、情けなさや、生きづらくなってしまったことを恨む気持ちがぐちゃぐちゃになり、涙をふいたティッシュをゴミ箱に入れては泣くばかりだった。

わたしは人生を終わらせることをやめた。脱水症状になりそうなくらい泣いたら、いつのまにか寝ていて、起きたらなんだかスッキリしてしまっていたのだ。笑ってしまうような話だけれど、わたしは「消えたさ」のものすごい風から、「周囲の人への手紙」という壁に隠れられたのかもしれない。

---

翌日はのんびり夫とカフェに行って、本屋に行った。目ぼしい本はなかったけれど、何か買いたいと思い、何人かに「文体が似てる」と言ってもらった作家さんの小説を買った。母からもらった図書カードで支払う。

そして改めて決めた。遺書を書こう、と。

ただし、人生を終えるためではなく、生きるために。

朝、夫を送り出し、しばらくはぼんやりとカフェオレを飲んでいた。すると、すっと背筋が伸びるような、きゅっと口を結ぶような気持ちになった。たぶん今だ、書こう。

計画していた無印良品の便箋は、棚の隙間に入り込んでしまっていて、取り出すのに少し苦労した。やれやれと思いながら、いつも愛用しているボールペンの芯を出して書き始める。タイトル部に「遺書」。1行目でさっそく書き損じてしまい、作家みたいにクシャクシャに丸めて捨てる。やり直し。そこから完成までは、あっという間だった。初の遺書が完成した。

---

お昼前、いいお天気だし桜も咲いているだろう、と愛用のカメラで写真を撮りながら、一番近くのポストに向かった。封筒には何も書いていないので、ポストに入れても郵便局で処分してくれるはずだ。でも、ポストに入れると「未来の自分」に遺書が届いてしまうような気がした。ポストの内蓋に半分ほど封筒を差し込んだところで、投函するのをやめた。すぐ近くに、コンビニの入り口がある。コンビニのゴミ箱に捨てよう。「消えたいわたし」を捨てて、燃やしてもらおう。

---

店内でジャスミン茶とグリーンスムージーを手にとり、お会計を済ませた流れで、遺書の入った封筒をコンビニのゴミ箱に捨てた。

わたしの「消えたい」を捨てた。

完治しないといわれる障害をもつわたしは、これからも消えたい気持ちを抱え、「行動に移せ」と突風が吹く日が来ることからは逃れられないと思う。それでも、つらい感情が湧くたびに片づけていきたい。カウンセリングで怒りを感じられるようになってきたみたいに。死にたいと泣けるようになってきたみたいに。そんな風に、「消えたさ」も湧いたときに対処する。わたしはきっと、それでしか生きていけない。消えたさが無くなる日はきっと主治医にも正確にはわからないし、根本的には無くならないかもしれないのだ。

消えたい気持ちが燃えてなくなればいいな、なんて、遺書を書いて捨てる。バカげたおまじないみたいな行動かもしれない。でも、少しでもスッキリできるなら、小さなことでもやってみたい。

わたしは今日も、病院に行く。主治医に、この「生きるための遺書」の話をしてみようかと思いつつ、笑われてしまいそうで、そんなくだらないことに悩んでいる。生きているから、悩んでいるのだ。

心のどこかに引っ掛かったら、ぜひ100円のサポートからお願いします🙌