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その苦しみに、ひとつ角砂糖を

中学2年生のときだったと思う。担任の先生は、国語の女性の先生だった。ショートヘアというよりも「短く刈り上げた」という方がピッタリくるようなサッパリした出で立ちで、お腹を突き出すような立ち方をして、いつもベストを羽織っていた。

その先生が教壇で話したことを、20年近く経った今でも細かいところまで覚えている。国語を通して人生を豊かにすることをたくさん教えてくれた。


中でも素敵だと思ったのは「本は注文しない。出会うものだから」という言葉だ。今ほどすぐに欲しい本が買えなかった時代だったけれど書店で注文はできた。それでも、出会えるかどうかも含めて楽しむのものが本だと言っていた。不自由をあえて楽しむ気持ちに、他の大人と違う面白さを感じた。

それから、「物語の中で雨が降れば、たかが雨でも必ず意味がある。その意味を探しなさい」という言葉。小さな頃から物語を読むことが好きだったわたしは、それを聞いて宝探しのような気持ちで教科書に出てくる物語を何度も読んだ。読むだけでも楽しくてうっとりするのに、わたしの知らない宝物が隠されていることにワクワクした。

そして、朝礼やホームルームで時折話す、先生の個人的な話。


先生には娘さんが1人いた。知的障害を持っていたそうだ。障害の程度は分からない。その娘さんのことが話のほとんどを占めていて、旦那さんは本当に時々話に出てくる程度だったので旦那さんが少しかわいそうだった。

わたしたちに話すことで何かを伝えたい気持ちもあっただろう。でも、先生はいつもとても苦しそうに話しているように見えた。娘さん自身のことではなく、娘さんを取り巻く世界の息苦しさのことを繰り返し話した。

「私が新しい人と知り合ったとき、何をしているのかと聞かれて『教師をしています』と答えると大概の人はビックリするんだよね。それで『是非お友達になりましょう!』って言う。それで娘を連れていって娘の顔を見たらみんな態度が変わる。だんだん疎遠になるんだよ。」

わたしはそんな世界があるのか、それがこの教室と陸続きの世界の話なのか、と思った。

先生は諦めたような口調で空笑いをして話したり、悔しそうにときおり教壇を叩いたりした。わたしたち生徒はいつも何も言えなかった。「差別は良くないと思います!」なんてありきたりな言葉を発することすらできないほど、先生は苦しそうだった。

特別学級にひとり、知的障害の生徒がいた。時々一緒に「大きな栗の木の下で」を歌って踊ったのだけど、あれは特別学級の先生が「木下先生」だったからそれを覚えてもらうためだった。わたしたちはとても楽しかった。木下先生も楽しそうだった。先生も他の人の前では楽しそうなのかもしれない、楽しそうに見せなきゃいけないのかもしれない。だからわたしたちの前でだけ素直に苦しみを吐き出せたのかもしれない。


もし、その話を聞くだけだった生徒のひとりのわたしが、大人として先生と出会えていたら、一緒にコーヒーを飲みたい。先生が職員室で飲んでいたブラックのコーヒーより、ちょっとだけいいコーヒーが飲めるお店に行く。先生が話したいことだけ話して欲しい。苦くてたまらなくなる前に、そのカップに角砂糖を入れたい。先生は嫌がるかもしれないけれど。


先生が話しながら繰り返し泣く話がひとつだけあった。娘さんが成人式を迎えたとき(だったと思う)はじめて先生に手紙を書いてくれたのだそうだ。

「生んでくれてありがとう」

そんな言葉を含む、幼く歪んだ文字の数々が、新聞に載ったのだという。先生は何度も教壇でその話をして泣いていた。

先生はロマンチストだから、怒りっぽい割にすぐ泣く。泣くことを分かっていて、羽織っているベストにはハンカチがいつも入っていた。そのハンカチでぐしゃぐしゃと無造作に顔を拭く姿を今でも覚えている。

先生とどこかで本のように巡り会えるかもしれない。そうしたらコーヒーでも飲みましょう。いつも苦しんできた先生。たまには砂糖を入れるのも悪くないよ。わたしはカフェオレを飲むけどね。

#イラスト #エッセイ

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