見出し画像

27歳、時給700円で見た世界

「わたし、なんでこんなところでこんなことしてるんだろう…」

田舎にある小さな花屋で絶望感に打ちひしがれていた時の気持ちを、今でも鮮明に思い出せる。5年前、27歳のわたしが花屋でアルバイトを始めたときのおはなし。

花屋になりたいわけではなかった。わたしはWebデザイナーとして働いていたのに、それができなくなって仕方なく始めたアルバイトだったからだ。しかも、時給700円で。

それまでは苦しい道のりがあった。

制作会社でのWebデザイナーの仕事、そして…

美術の専門学校に在学中、社会人の友達に誘われてWebデザイナーのアルバイトに励んでいると、卒業前に上司から声がかかった。「このままうちで、正社員にならない?」
Webデザイナーの仕事は好きだと思えたし、会社も好きだったので是非、と正社員になったが、なんとそれは半年しか続かなかった。

全てが狂い始めたのは、会社の給湯室で衝動的に薬を過剰摂取して倒れてからだ。仕事とプライベートのトラブルが重なり、あっという間にわたしは壊れて…。

その後のことはあまり覚えていない。会社を辞め、「俺の家で休めよ」と同棲していた、わたしにとって初めての彼氏。彼に理不尽に怒鳴られる毎日の中で、その人が諸悪の根源だったことすら分からないほど心身がおかしくなっていた。
そしてわたしはあっけなく捨てられ、泣きながら荷物を段ボールに詰め込んで、慣れ親しんだ実家での生活に戻った。それでも迷走はまだまだ続いた。

壊れた自分を必死に隠しながら次の会社へ、次の会社へと渡り歩くがどこもそれぞれ半年も続かずわたしは混乱した。必死の転職活動で得た内定を、「会社にどうしても行けません。すみません、どうしてだか分かりません」と泣きながら電話して辞退したこともあった。どうしたらいいのか分からず、もうわけがわからなくてとにかく泣いた。

それでも、みんなのように仕事がしたかった。Webデザイナーしか経験のないわたしは、どうしてもWeb制作会社で働かないといけないと思い込んでいたし、「みんなのように!普通に!もっと頑張らなきゃ!」と思い続けていた。

電話の鳴らない、誰にも必要とされない日々

実家の自分の部屋で一人、大の字で転がっていても、どこでも働いていないので誰からも連絡が来なかった。あまりに携帯が鳴らないので壊れているのだろうとかと疑ったほど。その日々はとても虚しく、毎日会社に通うのがつらかったのに、今度は通う会社がないことがつらくて仕方がなかった。

ロクに仕事もできずTwitterに病んだツイートばかりする自分にも嫌気がさしていて、プライドはズタズタ。地元駅前のカフェで、何の意欲もわかないままアイスティーをすすってはこれからどうしよう…と途方に暮れ、知り合いからの「一旦、Web業界から離れてみたほうがいいかもね。」というリプライの意味をぼんやり考えていた。

その帰り道、バス停に向かっていたときのことだ。

「アルバイト募集」

駅前の花屋で、ふとそのポスターを見かけた。Wordで一生懸命作った感じのデザインを見て、ダサいなあ、イタリックはないでしょ、ドロップシャドウ濃すぎ、などとデザイナー目線でぼんやり生意気なことを思ったりしていたけれど、何故だか不思議と花屋でのアルバイトに惹かれた気がした。

花屋で働くなんて今まで想像もしなかった。でも今の状況を変えたいという自分がいることにも心のどこかで気づいていた。何かのキッカケになるかもしれないと、ポスターの電話番号を携帯に打ち込み、ワンコール鳴る前に切って履歴に残し、人目を気にして、素早くその場を去ったのが3月のはじめ。

わたしの経歴で受かるとは思えなかったが、採用の電話が来たときはホッとした。だが、その花屋のアルバイトは27歳だったわたしに厳しい現実を突きつけてきた。それはこんなことだ。

「時給700円からですが、いいですか?」

27歳花屋アルバイト、時給700円

面接で言われた言葉の意味を、わたしはその花屋の初任給でありありと感じた。「おつかれさま」と直接渡された封筒を、すぐにバックルームで開き給与明細を見る。すると信じられないほど安い金額が書いてあって目を疑う。そこに書いてあったのは、3万ちょっとという金額だった。

「何この金額、おこづかいかよ。27歳でこの給料かよ。」

月の中旬に働き始めた事情もあっての金額だがひたすら悲しかった。わたしの価値がこれっぽっちと言われているようだったし、周りのみんなはもっともっと稼いでいるのに、わたしだって新卒のときはもっと稼いでいたのに、と。周りとも過去の自分とも比べて、またTwitterに愚痴っていた。

「花屋なんて、わたしの仕事じゃない。こんなのわたしの居場所じゃない、早くWeb業界に戻るんだ」

Twitterのプロフィール欄に、「元Webデザイナー。Web業界復帰を目指してます」と書き添えた。なんとしてもWebデザイナーに戻りたくて、そっとインターネットにその気持ちを放っていた。誰でもいいからわたしをWebの世界に戻して欲しかったのかもしれない。

自分の中での気づきが起こした変化

花屋でのわたしは、仏花を包装紙で包むだけのこともできず(意外とコツがあり、難しい)花の名前も代表的なものしか知らなかったところからのスタートだった。でも全く未経験の仕事だったから、ある意味開き直れたのかもしれない。

27歳で花屋のアルバイトを始めた不思議な経歴のわたしに、店長とパートさんは優しく仕事を教えてくれた。「ひとつひとつ覚えていけばいい、毎日1種類ずつ、花の名前を覚えていこう。」優しい口調で言ってくれたことを今でも覚えている。

そこでわたしはTumblrに「1day1flower」というボードを作り、仕事を終える前に知らない花の情報メモしては、帰ったらTumblrにアップしていくことをはじめた。花のことを覚えようと思いながら、Webの世界に逃げたかった気持ちがあったのだと思う。

そんな感じで、葛藤はなかなか消えなかった。「なぜわたしが、なぜこんなやりたくもないアルバイトなんかを、時給700円なんかで」。恨み辛みを相変わらずTwitterに吐き出しながら、重い心身を引きずって花屋に通う日々。

それでも実際は、大したことないと思っていたアルバイト(週3日、1日5時間)でわたしはクタクタだった。そんな自分を認めるしかなく、「今はWebの仕事はできないな、しばらく花屋での仕事を頑張ってみよう」と、少し前向きな気持ちに変わっていく自分が出てきた。それは小さいけれどひとつの変化だった。

そうして、わたしは花屋になりたかったわけではなかったのに、だんだん花屋で仕事をすることが楽しくなっていった。少しずつできることも増え、小さなブーケを初めて自分で作れたときは愛おしい気持ちになり写真を撮った。iPhone3GSのカメラロールにどんどん花の写真が増えていって、眺めていると和んだような気がする。Twitterにも「これから花屋で働いてきます!」など、花屋でのことを積極的に発信した。

わたしは徐々に、「自分が過去の自分に囚われていた」と気づいた。そして他人と比べすぎていること、今の自分に高すぎるハードルを課していたことにも気づいた。

「一般的な社会人の27歳のような仕事(正社員、週5フルタイムで働くのが正義だと思っていた)は今はできない。このお給料じゃ実家からもまず出られない。欲しいものはほとんど我慢しなければいけない。じゃあどうしたら少しでも楽しく働いて生きていけるだろうか?

そして自分に小さな目標を立てた。それは「PerfumeのライブDVDを自分の働いたお金で買うこと」

小さなわたしが立てた小さな目標

Perfumeが大好きで心の支えだったわたしは、家のパソコンからYouTubeにアクセスしては、毎日彼女たちの動画を見て癒されていた。キラキラした彼女たちがまぶしくて、夢を叶え輝く人たちのオーラに憧れた。

「DVDが欲しい」と母に言えばお金はもらえただろうし、その値段もたった4千円ちょっとだ。一般的な社会人の27歳だったら、目標にするまでもなく手に入れられるだろう。だが、わたしのお給料で目指せる現実的な目標はこれだと思った。わたしは4千円ちょっとのDVDを買うことを目標にするくらい、社会では小さな存在だったと痛感した。

でも、小さくても小さいなりに夢を見たいと思った。Perfumeみたいにキラキラしたオーラは身につけられなくても、少しでもキラキラした自分になりたかった。

なんとか花屋のアルバイトを数ヶ月続け、やっと身の回りのお金を自分で払えるようになり、実家にもほんの少しだがお金を入れることにした。両親は喜んで、わたしの大好きなおばあちゃんの仏壇にそのお金を供えてくれたりもして、「大げさだなぁ」とも思ったけれど、心配をかけていた親にも少し恩返しができるようになったのかなと少しだけ自分を誇らしく思えた気がする。

無理なくPerfumeのDVDが買えるだけお金がたまったとき、ついにAmazonでDVDを注文した。それまで、安いお給料でコツコツお金をためた。クレジットカードを持っていなかったので、銀行振込を選んでバイト帰りに振り込んだ。

Amazonの封筒に詰まった夢のかたまり

DVDの到着予定日は急いで家に帰った。Amazonのボコボコの封筒を四苦八苦しながら切って開けたとき、きれいなフィルムに包まれた新品のDVDが顔を出した。ポップな三角模様が踊るジャケットを見て、ぱあっと気持ちが明るくなった。

ずっと欲しかったPerfumeのDVDを手にしたとき、わたしは笑っていたかもしれない、泣いていたかもしれない。今はもうよく覚えていない。でも、実家のリビングにある大型ハイビジョンTVでPerfumeの姿を見た時、きっとわたしはひとりで泣いたと思う。小さな自分の小さな夢が目の前で叶ったのだから。

それからしばらく、家でそのDVDを見るのを楽しみに花屋のアルバイトを頑張った。そして帰宅すると毎日毎日、何度も何度も、それを見た。YouTubeで見るのとは全然違い、大きく鮮明に映る彼女たちの歌やダンスに感動して、夢を語るMCの言葉に、わたしもここから頑張ろうと決意を新たにする日々だった。

その後、花屋でのアルバイトは2年半続いた。たった2年半だが、わたしの中では一番長く続けられた仕事になった。


小さなわたしの、小さな目標。Perfumeが、花屋での時給700円のアルバイトが、わたしに与えてくれた希望。今の自分を認め、できることを知ることの大切さ。恨み辛みばかり言って今の自分のことをきちんと見てあげられていなかったと今になればわかる。高いプライドで、自分をますます苦しめていたことも。でも、渦中にいるときはそれが分からず苦しかった、そのことも忘れずにいたい。

今でも活躍し続けるPerfumeを見ると思い出す、27歳だったわたしの見た世界。花屋で働いていた、あの頃の日々。わたしはあの頃の気持ちを忘れずにいたい。苦しんだことも、喜んだことも。

「今できることを、少しずつ。階段を一段ずつ上るように生きていこう」。まだまだ理想の自分には届かないし、他人と比べるのもやめられない。それでもわたしは今楽しく生きている。それは、間違いなく、時給700円での花屋のアルバイトのおかげだ。



※このテキストはここまでです!ながい文章を読んでくださってありがとうございました〜!応援してくれる方、そっと100円投げ銭やコメント、スキしてくれたら喜びます(^ω^)

ここから先は

0字

¥ 100

心のどこかに引っ掛かったら、ぜひ100円のサポートからお願いします🙌