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満たされない状態こそ、味わってみる

noteに書こうと思っていたネタのリストを見返しても、なんだかピンと来ない。

なぜだろうと考えたら、まずは「書きたい」と思った時から時間が経って、ことばの鮮度が落ちたこと。そして、自分が現状に満足しはじめたからだと思う。

「現状に満足しはじめた」というと、なんだかとても聞こえがよいし、もちろんよいことだとは思うけれど、そうなったらそうなったでなんだか物足りなくなる。人間って贅沢だ。noteを書きたいと思って編集画面を開いたときに書きたいことを考える感覚が変わって来てしまったので、少し焦る。

これに限らず、季節の変わり目に入ろうとしているときだからなのかなんなのか、自分の感覚が色々変化している。様々なことが「ビフォー・アフター」になってきてしまっている。

きっと、タイピングする指の強さもずいぶん優しくなった。

わたしは人が「伝えたいけどうまく伝わらない」というところをお手伝いしたいというスタンスでイラスト制作をしているので、そういうときにはもちろん自分の伝えたいこと・やりたいことは脇に置いて来た。それは今でも変わらない。制約があったほうが表現しやすいということは大いにあると思う。

「自由にしていいよ」と言われると途端に戸惑うのと似ている。思いが溢れてキーボードを壊さんばかりだったわたしの思いはどこへ行ったんだろう、と思う。

そして「現状に満足できない」ということはすごいことなんだなと思う。

満足できないと精神的にも苦しくなるし、満足したいという方向にみんな一生懸命に走る。でも、その「満足できない状態」をまず自分でしっかり見つめてみると、自分と対話をすることでたくさんのヒントが出てくる。「満足できない」という気持ちのおふろに、一旦どっぷり浸かってみる。

世の中で売られる本は「ポジティブにいこう」「切り替えていこう」そんなことばばかり踊る。だけど、ポジティブにするにしたって、今の自分がどんな姿であるか見つめないことには始まらないのだ、と思う。

現状に満足できないことは苦しいかもしれない。でもそれは味わってみると何かのヒントになるかもしれない。今のわたしは、もっとつくりたいという思いに満足できていない。これはきっとチャンスなのだと思う。

わたしはnoteを「ブログ」だとは思っていないのですが(ブログと比べて良い悪いではなく、noteという新しい体験だと思うので)自分の文体や書くことがブログっぽくなってきたな〜、とそんな変化も楽しいなあと思います。

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