「仮面の告白」三島由紀夫

先日、三島由紀夫の仮面の告白を読んだ。先月太宰治の「人間失格」が再び映画化され、これをきっかけにもう一度日本文学を読み直そうとしたためである。

その内容は私が解説するよりもオリエンタルラジオの中田さんがYouTubeチャンネルでアツく解説しているのでそちらを参照していただきたい。

-男・死・美

中田さんの言うようにこの本は 男、美、死の3軸に尽きる。三島は今で言うところのゲイだった。しかし、当時の日本にゲイをはじめとしたセクシャルマイノリティの概念はなく、そのギャップに苦しむ姿が描かれている。

-マイノリティの問題は個人の問題か?

セクシャルマイノリティはこれまで個人で解決する問題とされてきた。しかし、SNSの普及により、各個人の意見がフラットに表明できる場が設けられると、あらゆるマイノリティが意見を主張し、社会全体で考えなければならない問題へと発展した。(現在でもそうだ)私はこれまでマイノリティの問題を社会全体で共有することに いたちごっこ のような感覚を覚えていた。それはつまりありとあらゆる主張が繰り返され、それについて真剣に検討し社会全体で取り組むことに終わりのなさを感じるためであった。事実、現在そうなっており、タバコの問題など8割の人が現状維持で構わないところをマイノリティの意見に合わせ、社会全体で取り組む問題となっている。

当時の三島のような人が減ることは良いことではないかと思う。あのような孤独感はひどく辛い。彼の気持ちには共感の念を示さざるを得ない。

-どうしようもない終わりのなさとどう付き合うか

しかし、良いことばかりでもない。先ほど言った終わりのないいたちごっこに我々はすでに巻き込まれている。つまり、これは全体主義的な問題なんだと思う。マイノリティの問題でも社会全体で共有すれば全体的な問題となる。そもそも社会とはマイノリティの集まりなのだ。(部分と全体の問題はさておき)それぞれの主張に振り回される方の身についても考えるべきだ。解決策はどこにあるのか。

とりあえず、週末台風で外にも出られないだろうから、いちど中田さんのYouTubeチャンネルを観るか、実際に本を読むかして考えてほしいなと思う。

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