無題絵と無題テキスト

誰かと会うと、

ギリギリ依存しない距離でバランスを取りながら話す危ういあの感じがけっこう好きなのだけど、
帰りに夜道を歩きながら感じるほんのりした後悔とか、
そこから逃れるために明日の事にかちっと頭を切り替えようとして、でも切り替わらなくて葛藤してしまう感じとか。
そういうしょうもなさも生きてる醍醐味だよねぇ。なんて考えられるようになるのはもう少し先かもしれない。

楽しい事にはいつも
それがいつなくなってしまうのかわからないな、という切なさがあって
それがきっと楽しさのベースを作ってる。
旅行の終わりみたいな。

とりあえずいろいろとクオリティを上げたい。
(頭のなかが常に散らかってて全部中途半端なのがコンプレックスの大きな大きな原因)
それがあらゆる楽しみの底上げにつながるはずだ。

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最近夜明けを見てない
ときどき見ないとなんだか落ち着かない

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寝てる子の、今この世界に居ない感じが好き

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頭の中にあるだけで
ぐにゃぐにゃした形のないものたちを
断片でもいいから残せたらいいのに
病的に集中できないのがつらい

*

集中が必要にならない速さで
外側に出せたらいいのかもしれない

*

場所や見るものをコロコロと切り替えると調子の良い日と
ひたすら寝続けるのがいい日があって
今日は寝続ける方で、ずっと一定。
頭もお腹の空かなさ具合も。

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この間「ロマンスドール」を見た。
一番好きなシーンは主人公が死んでしまった奥さんのドールを内臓や骨格から作り起こそうとするところ。
(小説にはあるけど、映画には具体的にそのシーンはない)
映画は皮膚で覆った段階から映像化されていた。
もしあれが骨格から作ってる姿、内臓をはめ込んでる姿から映像として見ても同じ感想で見終えられたのかなと思ったら、その結果が気になった。
美しいところだけを意図的に切り取ることについて考えていた。
皮膚の中は見せてはいけないものなんだなぁ。
(でも皮膚の中を再現してたら、きっと急にホラーのようにはなってしまっていたと思う。ビジュアル的にホラーというより、そこまで再現しようとしてる感が。)

そういう事って他にもある。
こういう状況になっているっていう事は、
つまり経緯の中にあれやそれがあるわけで…
っていうことも、
きっとみんな頭にはあるはずだけど、
それを表面にわざわざ出さないと
なにか神秘的なものや幻想的な生まれ変わるような、そんな感じ。

でも、表に出ないあれやそれが核になっていて
それが頭によぎるから、
きれいなところが際立つのかも。

批判じゃなくて、同じ事柄が作られ方で違う印象になるのが、マジックみたいで面白いなぁと思った。

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誰かがいる横でべつの誰かのことを考えられないのだけどみんなどうしているのだろう

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