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誰がビートルズ再結成を呼びかけたのか?

1976年11月、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人は極秘にスタジオに集まり、レコーディングしたと言います。

しかし、レコーディングはうまく行かず、物別れのような形で終わり、未完成の5曲がテープに残っているということです。

実際、本当かどうかもわからない話らしいのですが、ぼくの勝手な推測をしてみたいと思います。もしどなたか詳しい人がいましたら、逆に教えてほしいです。

ぼくが一番に興味を引かれるのは、誰が再結成を呼びかけたのかってこと。どうゆう流れで4人が顔を揃えることになったのかってことなんですねぇ。

1976年夏にポール・マッカートニーは、ウイングスでのマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサートの合間に、ジョン・レノンの住むダコタハウスを訪ねているそうです。

当時のウイングスは絶好調。なので、ポールが率先して再結成を呼びかけるとは思えない。それとも、ポールはジョンの顔色をうかがっていたのだろうか。

ぼくの推測はこうです。ポールはずっとジョンを意識していた。ウイングスをナンバー1のバンドにすることで、ジョンに自分の実力を認めさせたかった。ジョンに認めてもらいたかった。そしていつの日かまたジョンと一緒にやることを夢見ていた。ポールはきっと、ジョンがその気になってくれるのを待っていたんじゃないかと思うわけです。

ビートルズ時代から、ポールは常にジョンを意識していた、というのがぼくの考えです。兄貴みたいなジョンがいるからポールはラクなんですよね。お兄ちゃん、ぼくこんなこともできるよ〜っていう、そんな感じでしょうか。

ウイングスがナンバー1バンドになって、きっと自信マンマンでジョンに会いに行ったんでしょう。でもね、ジョンは多分、ポールの活動にはあんまり興味なかったと思うんですよねぇ。

仮にジョージやリンゴが再結成を呼びかけたか?うーん、正直なところそれはないでしょう。

では、ジョンはどうだったのか?

1976年7月に、ジョンはアメリカでの永住権が認められます。その頃、あるプロモーターがビートルズの再結成ツアーを提案しますが、ジョンは鼻で笑って否定したそうです。まぁ、表向きにはそんなところでしょう。そしてジョンは音楽から離れ、ショーンを育てるために主夫生活に入って行きます。ただ、1976年11月ならば、まだ音楽活動の余韻は残っていたことでしょう。

1975年、76年頃は、ボブ・ディランがローリング・サンダー・レビューでアメリカ各地をツアーしていました。これはぼくの推測ですが、ジョンはこのボブ・ディランの活動を気にしていたと見ます。多分、ツアーの映像を見たんだと思います。このツアーは映画化するために映像に収められていましたから。白塗りのボブ・ディラン、大所帯のにぎやかしい演奏、、、何やら面白いことをやってるじゃないか。ジョンは少し悔しがっていたんじゃないかと思うのです。

ジョンとボブ・ディラン???イマイチ繋がりの薄い二人ですが、実はジョン・レノン、かなりのボブ・ディランファンと見ます。相当に影響されていたと思われます。ビートルズ時代にボブ・ディランの影響と思われる曲も作っているし、海賊盤ビデオでは1966年にタクシーで二人が会話しているシーンがあります。ジョン・レノンがかなり舞い上がっている姿が印象的です。

ジョンにとって、ボブ・ディランはアイドルのような存在だったと思うのです。イギリス人のジョンにとってアメリカのスター。LSDを教えてもらい、自分よりも先を行っているアーティスト。

70年代になってボブ・ディランが再び精力的に活動をし出して、ジョンが無視できるわけないと思うのです。むしろローリング・サンダー・レビューあたり、相当な刺激を受けたと思われます。当時の現役アーティストで、ボブ・ディランだけはライバル視していたことと思うのです。

ビートルズ解散後、それなりにソロ活動をして、ジョンは限界も感じていたのではないでしょうか。やっとナンバー1ヒットも出せた。次のステップを考えた時に、もう一度シーンの中心に返り咲きたいと思ったジョンは、ビートルズもアリかもと思ったのではないでしょうか。

人気絶頂のポールもまんざらではなさそうだ。ビートルズでもう一度世間をアッと言わせてやろう。そんな気分でみんなに声をかけたのではないかというのが、ぼくの推理です。4人を集められるのはジョン・レノンしかいないでしょう。

しかし、世の中うまく行きません。レコーディングは散々、、、。こうしてビートルズの再結成は流れ、ジョンは完全に音楽活動から身を引くわけです。この4人での再会と決裂が、一層音楽から離れるきっかけになったような気がしてなりません。活動再開は1980年、そして悲しいあの事件です。

もしこの再結成がうまく行っていたらと思うと、いろんな想像が膨らみます。その後の音楽の歴史も変わっていたかもしれないです。


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