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桐生つかさの『プロデューサー』になれなかった人の話

 2020年4月某日、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の一大イベント『第9回シンデレラガール総選挙』と『ボイスアイドルオーディション』が開催されていた時期、とあるアパートのカーテンが閉め切られた部屋の中、人が一人、一心不乱にスマホの画面をポチポチしておりました。

 彼はTwitterの「シンデレラガールズ」に登場するアイドルのダイマを求めるツイートにひたすら返信をしておりました。
 返信内容は現役女子高生にして経営者とアイドル、三足の草鞋を履く色々と凄いキャラクター「桐生つかさ」のダイマでした。

 彼が桐生つかさと出会ったのは大学大学中で、「シンデレラガールズ」は第5回総選挙が終了した頃でした。
 「アイドルマスターシンデレラガールズ」にプレイアブルキャラクターとして登場するアイドルは当時193人(2020年現在はここに7人増えて全190人)おりましたが、そのうちCV担当の声優さんがあてられているのは 人ほどで残りはボイスが実装されておらず、ボイスを付けるには公式が付けてくれるのを待つ(所謂サプボ)か年に一度開催されるシンデレラガール総選挙で上位5名か各属性3位に入賞する必要がありました。

 桐生つかさ――年齢は18歳の高校生でありながら経営者であり、その上(ゲーム内プロデューサーの誘いがあったとはいえ)アイドルを始める「シンデレラガールズ」のプレイアブルキャラクター。
 自信満々な態度とビッグマウスな発言で尊大な印象を抱かせるが、根は向上心の高い努力家で経営者としての責任感も強くアイドル業・社長業・学業・趣味である糠床の世話――どれも手を抜かず本気全力で取り組んでいます。
 また、自身の能力や実績に慢心することなく、相手の長所は積極的にリスペクトし自身に未熟なところがあれば素直に反省し改善の努力を惜しまないといった一面もあります。

 桐生つかさの良さについてはこちらの方のnoteに良くまとめられています。

https://note.com/koyubi01koyubi/n/n05dd0640a140

  そんな桐生つかさに彼は心惹かれました。
 同時に彼女に声が付いておらず総選挙で一度も数字を出せていない事を理不尽に思いました。
 そして、桐生つかさに声を付けること・総選挙で50位以内に入れる事を目的として彼は『シンデレラガールズ』というコンテンツに傾倒していきました。

 空いた時間は桐生つかさについて考えるかTwitterで桐生つかさに関する投稿orエゴサ、もしくはモバマスorデレステをプレイする。
 ゲームに課金は殆どしないが桐生つかさのSRまたはSSRが来た時は別(とは言っても年に1回か2回あるかないかだが)。
 総選挙期間は、何万円という生活費に影響するギリギリの金額を課金して投票権を購入し全てを桐生つかさにつぎ込む。他の人にも投票してもらえるようTwitter上でダイマも行う。
 それらでエネルギーを使い果たしてしまうため、他の事には手をつけられず後はスマホをいじって一日が終わってしまう。
 そんなことを、彼は大学生活でずっと続けておりました。

そのうち、彼は大学の授業やサークルにあまり出席しなくなりました。
 朝一の授業は全滅。午後や夕方の授業も出席に関わらなければ殆ど出ない上に出ても授業は聞いておらず桐生つかさの事だけを考えている。
 バイト中も桐生つかさの事を考えるのを止められないため続けられたのはプラカード持ちのみ(その場に立っていればどうにかなるので)。

 彼自身、このままではいけないと考え、焦るようになりました。沢山あったはずの自由な時間がどんどん少なくなっていく。自分の人生設計に必要な筈の時間を溝に捨てている。このままでは取り返しのつかない事になる――そのような事は彼にも分かっておりました。

 それでも、彼は自分を変えることは出来ませんでした。自分を変えることの重要性を説くアイドルを推しているにも関わらず。
 彼は桐生つかさというキャラクターに依存しておりました。
 桐生つかさに対して彼が本来他のことへ使うべきエネルギーを彼女に関することへ注ぎこみ、彼女から得るものは何もない――得られたとすればつかの間の満足感のみ。彼女の台詞からすら何もフィードバック出来ない。

 彼は桐生つかさの好きなところ・どこが魅力的なのかを分析し、文章に落とし込み、Twitterに投稿することができました。
 しかしながら、彼は桐生つかさというキャラクターに込められている美学や哲学を自分自身の中に落とし込み実行することは出来ませんでした。

 そうこうしている内に最終学年の三月――就活の時期がやってきました。
 勿論のこと彼は今まで就活――というか進路選択に関わることを何もやっておりませんでしたし、三月から六月、六月から九月になっても就活に身が入りませんでした。就職先が決まっていない焦りは彼の中でとても大きくなっていましたが、それを行動するエネルギーに変換することは出来ませんでした。
 卒論も、大まかな方針をある程度決めていただけで本題には全くとりくんでおりませんでした。
 十二月末になってようやく就職先が決定し、卒業論文も締め切り前の一週間で何とか完成させて提出することが出来ました。

 就職して早々、研修期間中に彼は同期とトラブルを起こしました。
 研修を終えて本格的に就業するようになってからも、彼はトラブルを起こし続けました。 
  職場の人達も彼があまりにも失敗を繰り返し改善する兆しもないので彼に対して次第に態度が冷たくなっていきました。
 彼自身「このままでは駄目だ」と思っていましたが、家に帰ってやることはモバマス・デレステ・インターネットで桐生つかさのエゴサ――このルーティーンを変えることは出来ませんでした。

 そして4月の某日、第9回シンデレラガール総選挙とボイスアイドルオーディションが開催された日、彼は壊れました。

 その日、彼は職場に行けませんでした。
 体がガクガク震え、吐き気に襲われ、玄関に立ってもドアを開けることが出来ませんでした。
 幸いなことに上司に現状を報告する気力はあったので、連絡をとりその日は休むことになりました。

数日後の 病院での診察の結果、彼は1~2ヶ月ほど仕事を休むことになりました。

 思考と考えがぐっちゃぐちゃになっていた彼でしたがその中で一つだけ、はっきりと浮かび上がってくるものがありました。

"そうだ、総選挙が始まったんだ。何かしなくちゃ"

 それからの彼は無茶苦茶でした。
 まず本人が現状で買えると判断しただけの投票権を購入し、他の桐生つかさPさん達が「総選挙券とボイスオーディション券、どちらも桐生つかさに入れるよりはボイス付きアイドルのPさんと交渉を行って票交換を行ったほうが良いのではないか」という提案が出たときはそれに従いました。
 ダイマ資料を作成するどころか総選挙・ボイスオーディションに関する呟きもほとんど出来ない状態でしたが、かといって何もせずにはいられません。そこで投票先を決めるためのダイマにひたすら参加しました。
 ダイマは多いときは1時間に2~3件にものぼりました。その中にはダイマ内容ではなくダイマが来た数で投票先を決めるなどもあり、アイドルのダイマにかかれるPの人数、そしてダイマへの反応速度なども重要となりました。
 彼はTwitterにほぼ一日中張り付き、ダイマを求めるツイートがあればすぐにダイマ用の文面を考え(殆どは作成済のテンプレートを改変したものでしたが)リプライを行いました。外出するのは買い出しに行くときのみであとは一日中家に引きこもっており、総選挙の最終日付近は寝る間も惜しんで深夜や早朝もTwitterを凝視している――心を病んだ人の生活としてとても健全とは言えない行動を1か月近く行っておりました。

 Twitter上でのダイマに関しては一つ、ダイマへの動員数・速度とても強大で個人的にライバル視していた陣営がありました。
 今思えば、その陣営に負けたくないという思いがモチベーションのひとつになっていたのだろう、と彼は当時を振り返っておりました。

 そして結果発表の日が来ました。
 その日、彼はTwitter上で「寝過ごした」と呟きました。
 それは嘘でした。彼は9時頃には既に起床しておりました。
 もしも桐生つかさが3位以内に入っていなかったら、もしも3位以降の順位が公開されなかったら――そう考えていた彼は結果発表が公開されてすぐに順位を確認することが出来ませんでした。
 彼が順位を確認したのは午後3時頃でした。

 結果は――

 

 

 この結果発表を見た後、彼はその場で呆然と立ちつくしておりました。
目からはとめどなく涙が流れ続けました。

 五年前から彼にとって生活の中心になっていた課題
自力で解決することは出来ず逃げることも出来ない誰にも理解されない精神の地獄
数年間、彼がすべきだった殆どの課題や意欲を悉く塗りつぶしてきた生きる意味

  結果を喜んで数分後、彼は思いました。「ああ、ようやく呪縛から解放された」と

 ボイスオーディションの結果発表から1月ほど経ち、その頃に彼は職場に復帰しました。桐生つかさへの”執着”にひとまずけりをつけた彼は心機一転して仕事に取り組み、職場の人たちとの関係も修復しつつあるようです。
そして、彼はこう思うようになりました。


自分は桐生つかさのプロデューサーにはなれない

と。

 彼の中で「桐生つかさ」というキャラクターはとても大きな存在になっておりました。彼の人生の中で、ここまで興味や関心、そして「欲望」を注いだキャラクターは初めてですし、これから先二度とは現れないでしょう。

 彼は桐生つかさのビジュアルが好きでした。


 見るからに特別感を漂わせる金髪と紫の瞳、均整のとれた体付き、そして何より、パッとみて美少女だとわかる風貌が好きでした。
 華やかでありながら癖のない「二次元の美少女とは基本的にはかくあるべきだ」とでも言いたげに洗練された彼は心を奪われておりました。
 中身もさることながらここまでデザインの優れた彼女がコンテンツの前線を走れないのはおかしい、この世界は間違っている、と彼は本気で思っておりました。

 彼は桐生つかさの物語が好きでした。


JKで社長――順風満帆で怖いもの無しで飛び込んだアイドル業界で自身の未熟さ一人の限界を改めて痛感し、それでも前へ突き進む。
  ゲーム内のプロデューサーと共とビジネスライクで始まった関係が互いの仕事の腕も内面も信頼できる――ただし依存や恋愛などではない、多分――相棒へと発展していく過程。
 他のアイドル達に対しても喧嘩腰だった初期から他者へのリスペクトを忘れず年下の子たちの面倒見もよい、頼れる存在へと成長していく過程。
 傍からみれば既に「強すぎる」子が壁にぶつかって更なる高みを目指す物語――彼はそんな物語に惚れ込んだのでした。

 そして、彼は桐生つかさの言葉が好きでした。

人を「刺す」ことも厭わないほど鋭く、強く、生意気な発言。
  しかしそれは自分に向けたものでもあり虚勢を含んでいることも認めている。
 自分に向けられた時の言葉は退路を断ち、自信満々に見えるよう胸を張って前へと進む「覚悟を」持つために。臆せず前進する自身の姿を「会社の商品」「会社の広告」そして「偶像」として市場に売り出すために。
 そして強い「言葉」とそれを裏打ちする強い「姿」が合わさった時、人の心を動かし、前へ進ませる。
 彼はそんな桐生つかさの「言葉」が本当に、本当に好きでした。

 しかしながら、彼は桐生つかさの発する言葉が好きであっても、彼女の言葉通りの生き方は出来ませんでした。寧ろ、彼にとって桐生つかさの提示する、彼女がその身を以て実践する生き方は彼にとって煩わしいものでした。

 桐生つかさが好きであるにも関わらず、彼は成長することができませんでした。
   彼は昔から努力が出来ない人間でした。自分を変えたいと思ったことがあったにも関わらず努力が嫌いな人間でした。
  何をするにも三日坊主で、一時的に高い関心を持った物事でも数日――酷い時は1日経たずに興味が失せていました。
   集中力が続かず、何事にも打ち込むことが出来ませんでした。
  そんな彼でしたが、桐生つかさに対する興味・関心は本人も驚くほど続いておりました。
  その桐生つかさを追っていけば、彼女の台詞や行動、関わっている分野から影響を受けて自分も変わることができるのではないか――彼は桐生つかさに対してそのような希望を抱いておりました。
 しかし彼は変わることが出来ませんでした。
 桐生つかさ以外の物事に関しては相変わらず無関心で無気力なままでした。
 桐生つかさ以外の物事に関しては相変わらず無関心で無気力なままでした。
 そして実際には桐生つかさの『プロデュース』に関しても中途半端なままでした。
 ニコニコ動画で某合作動画が流行ったのをきっかけに始めた動画制作もスマホでの制作からPCでAviutlを使った制作に移ることが出来ず、ネタもクオリティも大したものが作れないままでした。
 イラストを描く勉強をすることもありませんでした。
 デレステのスクショもそこまで熱心に撮ってはいませんでした。
 人見知りを改善することも出来ず、P間で交流する企画を立ち上げることどころか参加することも殆どありませんでした。
 彼の中に残ったものは、どこにも昇華することが出来ない桐生つかさに対する興味・愛・恨み・嫉妬――それらが混ざった執着心だけでした。

 彼は人生のうちの特に重要な数年間を「桐生つかさに声を付ける」ためだけに費やしていた事にようやく気が付きました。それは皮肉にも担当(と彼は思いこんでいた)である桐生つかさが嫌いそうな、自分の人生のエネルギーを自分にとって特に重要」でない事に注ぎ込む、とても空虚な生き方でした。

 桐生つかさに何かを求めていたわけではありませんでした。
 桐生つかさに先を進んでほしかっただけでした。
 桐生つかさに「シンデレラガールズ」というコンテンツの前線に立ってほしかっただけでした。
 彼女にCV担当の声優さんがいないのであれば、その人に就いてほしかっただけでした。
 CV担当が付くのに総選挙の順位という実績が必要なのであれば総選挙に勝ってほしかったでけでした。
 ただそれだけで、彼は人生の貴重な時間とエネルギーをドブにすてました。

 心のどこかで彼自身、自分と桐生つかさの相性が悪いということには気づいておりました。
 ――分かっていても、彼は桐生つかさを介して人生の破滅を進んでおりました。そしてその破滅は、桐生つかさに声がつくまで続くものでした。
 道を間違えかけている人生をやり直すには一度桐生つかさから離れる必要があるのではないか、とは考えていたこともありました。
  それでも、彼は桐生つかさの『プロデューサー』から降りることは出来ませんでした。桐生つかさに声が付くまで、一度たりとも桐生つかさへの執着を止めることは出来ませんでした。

今でも彼の中で、桐生つかさを好きだという気持ちは変わりはないでしょう。
ただ、桐生つかさを好きな自分は桐生つかさのファン・プロデューサーとして理想的な人ではないし、今更なれないという事。ならなくても良いという事に、ようやく向きあう事が出来たのです。

 

 そして彼は、自分の人生を考え直しはじめました。
 桐生つかさから、そして「アイドルマスターシンデレラガールズ」というコンテンツから距離を置きました。
しかしながら完全に縁を切る訳ではなく桐生つかさというキャラクターを嫌いになったわけではなさそうです。

以上で、二次元のキャラクターに心を奪われ惚れ込み、貴重な時間を執着によって潰し人生を台無しにし、キャラクターとコンテンツへの執着という「呪縛」から解き放たれ人生を見つめ直した人の話は終わりです。

尤も

 デレステでは桐生つかさの出番が来た時のためのスタージュエルとエナジードリンクを貯めるため(下手すると依存していた当時よりも大真面目に)イベントを走り割引ジュエルを低額で購入し

モバマスでは欲しいアイドルのSRが来た時に課金してまでイベントを走るなど

本当に距離を置けているのか怪しいところではありますが。

※この話は事実を基にしたフィクションです。