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こたえの出ない旅を垣間見た

前回の続き、でもありますが…。

なんだか、忘れちゃいけない様な気がするので
記録として…。

その日の
大事な講義の最後に
先生がわたしたちをグループヒプノ誘導して下さった時の事を
書こう、と思う。

一段ずつ階段を降りていく
自分の好きなところの階段をイメージして…と優しく誘導され

私はいつもお散歩でお参りする
観音様の境内の階段を降りていった。

階段を降りきると
足元には砂地

最初わたしは
赤ちゃんをおんぶしているのか?と思った、が、

それは
三味線の様なものだった。

足元は紺色のしっかりした足袋に
旅支度のごわごわした着物。

顔は、
ちょっとぼやけてよく分からないけれど
目じりをひっぱったときの様な
(カピパラがお風呂に入っている様な)目で
私から見て左の目尻に
ちょっとしたできもののようなものがあった。

あれ、今の私は右の目尻にシミがあるよ…
そう思いつつ

お家を見てごらん、そこはどんな家?という誘導で、

自分の家の方を向くと
砂地の先の少し高くなったところに
粗末な家。

家の中には
たくましそうな父と
祖母。
(実は、二人とも今世の知り合い
というかとてもお世話になっている人達の
○さんと□さんだ!とそのとき思った…。)
(激しく伏せ字…)

それはいつ?という先生の声に

江戸

とすぐ返ってきて

またそのあと

カンエイ(寛永)

と返ってきた。

このとき私は
「え?江戸なの?寛永なの?どっち?」と少し右往左往したが

寛永は江戸時代の中の元号でした…
(高校ではげしく落ちこぼれた私ならではの右往左往現象…)

すぐ、次に返ってきたのが

1545年という年。

後からアシスタントをしてくださっている
Tさんが調べてくれたけれど
寛永時代とは
100年くらいちょっとずれているみたい…

おーい、100年サバよんでるぞー…

私は

そこでは

「さき」
「おさきさん」

と呼ばれていた。

三味線を弾き、唄い、

「お師匠さんのところに行くんだ!」と
とても生き生きして、喜びに満ちた氣持ちだった。
まるで冒険する前の様に。

そのあと、状況は霞みがかかってしまって
はっきり分からなくなったのだけど

どうやら
「わたれない」
らしく、遠くにいけなくなり

ちょっと痛い思いをし
(実際に膝がめっちゃ痛くなる…)

父のところに帰り…

なんだか最後は煙にまかれていたような…
(いやいや、マンガの見過ぎだぞと突っ込みそうになった。)

前回と違って
かなりもやっとしたイメージだったけれど

あの世に旅立つ当時の私が
私に語りかけた言葉は

「生きとうせー…生きとうせー…」

そう何度も何度も
唄うように
優しく優しく言っていた。

受け入れて、生きてきたんだ
これからも
生きとうせ。

そう言うが如く。

今回は
すこし全体にぼやっとしていて

数日たった自分が想うに
うーむ、これは、
どういう意味だろう、という感じだけれど

今のわたしも
勉強がしたくて
東京に一生懸命通っていたり

そういえば、楽器(クリスタルボウル)を持って
関西や沖縄、タイにも行ったね…

師匠に会いたい!
わくわくすっぞ!という強い気持ちは
同じなのかな、とも思う。

最後のシェアタイムで
私の感じたイメージを話すと

先生は

昔は「ごぜ」と言って
盲目の女性が三味線を持って旅をしていた、というお話をされて

えっ…そんな仕事があったんだ…と、すごく気になってしまった。

帰って検索していたら

こんな映画が…

https://www.goze-movie.com/goze.html

物語的にとても惹かれるので、いつか見てみたいと思う。

余談。
左側に見えた目尻の「できもの」
よく考えたら自分の右側の「しみ」は
外からみたら左側だった。

ーーー

この前世退行での

答えというか、意味は
あえて出さなくていいような気がする。

旅の途中、ということで。

ーーー
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