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リリース

夏の盛りが来るまえに、
個人的な体験と発見をした。

ボイストレーニングの3回コースで、私の主なテーマは
「呼吸」
そして
「話すときに声を使う」

そこに焦点をあてて頂いた。

その人のテーマによって
幅広く、深く、導かれていくレッスンだったので
受けてよかった、と思う。
受けていなかったら、今の自分は考えられない、と思う。

沢山のポイントの中で
特に書きたいのが
「のどの☆」(☆、は企業秘密。)
いわゆる、筋肉の使い方なのだが、

そのレッスンの日から、
自宅で仰向けになって
静かにその喉のポイントを押さえて復習をするようになった。

あるとき、静かに喉のポイントを押さえていると、
意外なことに
「じわりじわり」と涙が湧きしたたり落ちていった。
仰向けなので、涙が耳に溜まってしまう。
別に悲しくないし、泣きたいと思ったわけではない。
ただ、じわりじわりと涙が止まらない。
これは何かが起きているわ、と
何か癒しのエネルギーが流れるままに任せていると
今度は自然に嗚咽が始まっていた。

嗚咽というのは結構ムセルので、
仕方ないので起き上がってしばらく泣いていた。

ひとしきり山を越えると、胸の中が
スーーーーっと
アルプスの少女ハイジに出てくる山々の様に澄み渡っていった。
(ハイジの実写版に出てくるアルプスの風景は本当に美しいのでぜひ見て欲しい。)

何年か前に
TREという筋肉にフォーカスする
トラウマリリースのWSに参加したことがある。
シャーピアス先生というエサレンの大家である先生が
来日して行われたWSだ。
その時、参加者のなかに
「18歳までの記憶がないのだけれど
このワークをしたら泣き続けたのです。うふふ。」
と、ニコニコと話す可愛い女の子がいた。
18までの記憶がないと流石に日常生活に支障が出るので
おそらく、18までに体験した心身への強烈な虐待のようなものを
覚えていない、ということだと思う。
人の脳は良く出来ていて、生きていく上でつらすぎる出来事は
記憶に蓋をしてしまう。
わたしも、思い出せない時期がある。

喉を触っていて思い浮かんだのは
そうした子供時代のトラウマになるべく起こったひとつの出来事だった。
その出来事がどうして起こったのか、忘れてしまっていたが
涙の中で、なんとなく思い出した様な、分かった様な気がした。
子供だって、親の言うことをおとなしく聞いていれば
ごはんをもらえる、トイレにもいける、お風呂にも入れると
分かる。そうした生存に関わる賭けとともに、
自分の息を殺す癖をつけていたようだった。

ある意味強烈な家族内の出来事、大人になってから体験したパートナーからの暴力。そういった、嵐のような若いころの出来事は
今の平穏な日常の中で忘れている筈なのに
筋肉組織にストレスとして残っていたのだなと思った。

そして、ストレスやトラウマが蓄積する体の部位というのは
もしかして教科書どおりではなく、
個人個人で違うのではないかと、学びになった。
生まれてきた時に携えてくる学びは、ひとりひとり違うのだから。

私はよく「声がかわいい」と言われることが多かったのだけれど
いい年をした大人が、いつまでも「かわいい」のはそれはそれで問題だ。
「かわいい」というのは意外な瞬間にシャボン玉の様にふっとよぎるだけでよいのだ。

先生が仰った
深い呼吸とリラックスの中で
みつけた「自分の声」を
育てるのは、今からでもきっと遅くない。

(声を見つけることに心から、愛で導いて下さった先生に
感謝しかないです…⭐)

…この後の後日談として
数ヶ月後、お世話になっている鍼灸師の先生(可愛い女性)
が「ますみさん、何か、あった?」「良い意味で」
と、体を触って頂いていて不思議そうに仰ったのだ。
何か、すごく「楽」になっているらしい。
鍼灸師の先生、凄い…☆。



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