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わたしの秋のおはなし。


湖畔にひっそりと立っていた大きな木は
根を龍のように波打たせて
大きな象のように
いつも変わらずに
そこに。

そこまでは
ゆっくり歩いて40分ほどの優しい森のなか。

お友達と
あちこちにあるやわらかい苔に触れたり
落ち葉の音を聴いたりしながら歩く。

山あいの森の中で
大きく手を広げて立つ木々の中で
わたしは ありがとう と
ハートの中からの氣持ちを
ヒーリング風鈴の「音」にのせるのです。

そうすると
まるで
お返しのように
大地からまるくふんわり包み込まれるような
大きな大きな「愛」の気配がして
たまらなく
涙が出そうになる癒しの一瞬一瞬を
大切にふみしめるのです。

静かに葉をおとしながら佇む
大きな木の近くで

耳をすませていると

枝をかいくぐってきた
風の巻きよせ具合なのか
みみたぶの角度の具合なのか
耳元で
うーーーっと低くて深い口笛の様な音がして少しドキドキしながら

その風の声のなかに
じっと木の声を探す
やわらかい時間は

日差しの五線譜の中ゆっくりとすぎていくのでした。

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ーーー

山のなかで出あう
虫や動物の食べた跡のある葉っぱや

ちいさなかげろうが

三十万年も前の化石の中で
まるで生きているように
今と同じような姿を
みせてくれる。

昨日偶然出逢った小さな姿が
ふるいふるい石の中に刻まれている姿を見ていたその日

わたしは なんだかとても愛おしくて
懐かしい氣持ちになっていました。

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ずっと変わらない地上の営みのなかで
わたしが体を持って存在しているのは
ほんのわずかなひと呼吸。

化石博物館で買ったちいさなベラクレスアメジストは、うちにある小さなレムリアンシードと同じ形。時を超えた兄弟のようで見飽きない…。

ーーーー

のぼって
おりて
またのぼって
おりて。

おおきなひょうたんの形をした
二つつながりの湖の
奥の方の浜へは
まだ降りたことがありませんでした。

手前の湖畔で
おなかがいっぱいになったものだから
足がうごかすのがおっくうになって

同行者に先にいってもらう
ちょっとした一人の時間
クリスタル音叉の音にそうっと「ありがとう」をのせてみる。

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あまり一人でいるのもこわいので
先に行く人を探すと
意外にも奥の湖畔に降りていて

いつもと違う気配に惹かれて

思い切って降りてみた
だれもいない湖畔

思わず声を上げてしまう美しさに見惚れていると

泡立つようなエネルギーに包まれて
体のつかれもとれてしまうのでした。

気配を感じてふりかえると
ふかふかの何層にもなった枯葉の地面と
だれもいない静かなダケカンバの林。

深呼吸すると

からだの左
すぐそばに
だれかが佇んでいるのだけれど
姿は見えず

連れ立って行った人の撮った写真をあとからみると
湖畔の山肌に
大きな大きなオーブが写っていました。(びっくりした。)


まっくら部屋の中で

今日も
だれもいない夜の湖畔で
大きな月が
湖を照らしているのだろうなと
布団の中で目を閉じて想像すると

あのときの感覚がよみがえってくる。


ーーーーー

ありがとうをおくると
自然は
もっと大きなありがとうをおくってくれる。

わたしはまだ

ありがとうをおくっても
人からは滅多に
ありがとうは返ってこない寂しさという固まりを
のみ込んでいたのかもしれない。

ヒーリングも同じ

与えることと同じくらい大切なのは

まず

相手の魂に
「ありがとう」を送ること

いつか
相手の魂に
そうっと
「ありがとう」と
様々な形で伝えてもらえることは
幸せだと

自然から
体感を頂いた様な氣持ちでいます。

+++ありがとう+++

ーーーー

今日はオチがないです(T_T)。

(一緒に山にいったお友達は
前半の話は
クリスタルボウル奏者仲間のMiwaさん
後半は
うちの家主さんでした♪
ありがとうー♪)


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