見出し画像

たましいとからだ

お盆の入りは、いつもと違う部屋で寝たせいか
ぜーんぜん眠れず、あげく朝方悪夢を見て自分のうなり声で目が覚めるという(泣)…。
やはり枕元にドリームキャッチャーをつけておかないとダメですね。

いつだったかなあ。
朝方見た明晰夢で
わたしはたぶん空を飛んでいるようでした。
まるで鳥のように。
飛んでいるのだけれど、自分は
眼下に広がる世界や生き物たち、
「全てにいきわたっている」存在で
それは本当に「至福」でした。
その感覚は、しばらく経った今は
静かな一人の時でないと
なかなか思い出せない、というか
思い出せない時が多い、というか。

父が亡くなって数年経ったときの夕暮れ
風にあたっていると
急に
「父は、全てに行き渡っている」
という何の確証もないけれど、
きっとそれは真実である、という理解をしました。

魂だけになると、全てにいきわたっているのだなあ

そう思っていました。

長いことかかったけれど
やっと
体があっても
魂、(ハイヤーセルフ、とスピリチュアル界ではよくいいますが)
それは、全てにいきわたっているものだと
肉体はそれを表した一部の様なもので

光も暗い影も
成長の過程である、
だから、良い時も悪いときもある、とも言えるのではと
なんとなく感じれるようになってきました。

自分自身の経験から思うのは
マッサージやセラピーでお客様の体に触れるとき
たとえ
影の部分を感じたとしても
時がくるまで、むりやり変えようとしなくても
良いのかもしれない、ということです。

そういった力の無理な使い方は
かえってまた
カルマをうむのでは?とさえ
思ってしまいます。

時がくれば
自然と
自分の体の影に気づく

気づけば自然に
光があたる

だれもが
完璧で
未熟で
そういうもの。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?