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まさに地獄、Google Mapに乗らない被災地への過酷な旅路【帰り/陸路編】

前回の記事(行き/海路編)に続く、帰路/陸路編となります。

― 出航前夜
滞在先の村長宅で、和やかな宴を近隣住民としていた最中、なにやら真剣な表情での議論が始まった。

イロカノ語(現地の方言)が分からない僕でも、その声色と表情からよほどのことだと察知できました。

プロジェクト・パートナーのデクスターが僕に言いました。

『土砂崩れの影響で別のルートを歩く必要ができた。そこには、活発ではない(Inactive)テロリストみたいな連中がいるから、危険地域に入ったら必ず次を守るように。』

1. 英語を喋らない
2. スマホ禁止
3. ハーフパンツにサンダル

外国人だと分かると、襲われる可能性がある』とのこと。

ちなみに道中の僕の格好はこんな感じでした。

少年かな!?

危険地域ではフードをかぶってタオルで口元を隠していましたが、お世辞にもフィリピン人には見えないです。

この夜、僕は安田純平氏へのバッシングを思い出してました。

氏への批判の是非はおいておいて、万が一何かあったときには、全ての行動の是非が問われるんだろう、自分だけでなく周りに迷惑をかけるんだろうと眠りにつくまで、グルグルと考えていたのを覚えています。

― 早朝5時
朝食(干し肉と持ってきたソーセージ缶)をご馳走になり、身支度を整えます。

タブガン村の備蓄が残りわずかとなったため、食料品の買い出しと、僕らを安全に送り届けるため、村人17名で車が通っている村(38km先)を目指して移動します。

バックパックをポーター役の村民にもってもらい、ウェストポーチひとつで山登りに挑みます。

この時は、8歳の可愛らしい女の子がカバンを背負って、自分の足で歩くっていうんだから、大人の自分が行けないわけがないと。

むしろ、絶景を見ながらハイキングすることは楽しみでさえあったのです。

タブガン村を出発

獣道に見えますが、轍ができていて歩きやすい。前夜の雨で湿った道を歩きます。

村を出発して1時間、勾配のない山路を進んでいったため、この時はまだアトラクション気分。

ハイキングとは、いったい何ぞや?

平地が終わり、勾配が急な山道を登りだして2時間、ハイキングという言葉の意味を考えだした。

hiking /háɪkɪŋ/
[名詞/U] 徒歩旅行, ハイキング
the activity of going for long walks in the country for pleasure

オクスフォードの辞書が正しければ、もっとワクワクに満ちた、鼻歌でも歌いながらできるアクティビティのはず。

登山前、デクスターは下記のように述べていました。

・・・あれ、聞き間違いかな!?

口の中の水分はなくなり、口内はねっとりとした不快なツバがまとわりつきます。一歩、たった一歩を踏みだすのがじょじょに辛くなってきた頃合いでした。

山岳民族の彼らは土砂崩れも何のその、大人も子供も涼しい顔をして山道をかるがると登っていきます。

泥道は滑りやすいのでサンダルを手に持ちかえ、素足で登る。
これが痛い。小枝はいい、小枝はいいが、小石がとにかく痛いのじゃ。

嘘みたいにスイスイ進んでますが、この倒木渡りは恐怖そのもでした。
落ちたら10M下の地面に真っ逆さま。

流れの早い川を渡るときは、村長の娘ジェイ・アンちゃん(15)に手を引いてもらいながら渡りました。なんとも情けない。



ようやくして、彼らが認知する『ハイキング』が、登山経験なし温室ジャパニーズの僕の知る『ハイキング』と違うという事に気づいたのです。

シャリバテと行動食

登山を始めて4時間。ついに、モモの筋肉は収縮をやめました。
文字通り一歩も動けず、倒木にこしかけ、足の痙攣をながめていました。

これは、登山用語でシャリバテと呼ばれる症状だそうです。

シャリバテとは
登山では長時間にわたって体を動かし続けるため、日常生活に比べて比較にならないほどのカロリーを消費します。きちんとした食べ物をとらないで激しいエネルギー消費を行うと、血糖値が下がり、急にひどい空腹感に襲われて全身に力が入らなくなり、動けなくなってしまいます。
引用:GOALP

『クラッカーを食べなさい、パワーでるから。それと水も。』

一枚のクラッカーと小川で組んだ山水をさしだしてくれたのは、村長の奥さんでした。

情けない気持ちのまま、クラッカーを口に含み、ゆっくりと咀嚼。
小さなペットボトルに入った、130mlしかない貴重な山水を、一気に飲みほしたい衝動に負けず、舌全体で味わいつくし、喉に流し込むと・・・

なんということでしょう。
筋肉を動かすエネルギーを作る、ATP(アデノシン3リン酸)が体内で生成されているような感覚(錯覚)が!!

そして、何よりエンドルフィン。

食が細くて有名な僕でも、過酷な登山により空腹の限界がきていました。
この時に食べた、たった一枚のクラッカーはエネルギーだけでなく、脳内麻薬と呼ばれるエンドルフィンの放出を確かに感じたのです。

この休憩を期に、20メートル進んで、1分息を整える、また10メートル急斜面を登っては息を整えるをくり返して進みました。

登山道、最後の休憩所。炭水化物のかたまりを喰らう

― 午後2時半
山道終了まであと1kmの地点に、休憩所が設置されていました。

朝6時から始まった地獄の登山は佳境をむかえ、最後の休憩所では後方グループ8名で少し遅めの昼食をとりました。

昼食メニュー
・白米 5kg
・鯖缶×2
・イカ缶×1
・干し肉×約10かけら

これを8名で分けて、喰らうっ。

白米だけを食べてるように見える写真もありますが、鯖缶のタレをつけて白米を食べてます。

食後には、頭がクラクラ→シャキッとする木の実(名前忘れました)を楽しんでいました。物流が少ないこの地域では煙草は手に入らないため、村人の多くはこの植物をいつもクチャクチャと噛んでいました。(ツバが真っ赤になります)

もちろん、違法性はないものですが、僕は遠慮しました。

『平地をあと20km』のご褒美感

計18km、8時間の登山が終わり、マリシ村に着いたときの感動たるや。

この村から車が通っている村まで、平地をあと20kmと聞いたときには心が踊りました。

なんせ、平地です。

この時にはアドレナリン出まくりな上、10%以下の傾斜は息を整えるための、休憩エリアをさしていました。

ときおり、こんな道もありましたが写真を撮る余裕がまだまだあります。

歩みを止め、ワラワラと皆が向かった先には、、、

野生の唐辛子が!!
この後も食べれる野草を見つけるたび、根こそぎ収穫していました。

長い下り坂をこえ、井戸水を貸してくれた民家で、しばしの休憩。

Windows XPの壁紙に似た畑を超え、、、

20メートルほどの川を渡ったら、、、

乗り合いバンがある村に到着!!


サリサリストア(日本でいう小売店)でコーラをしこたま飲んだあと、乗り合いバンに乗り込み、ホテルのあるバッガオまで車で帰宅。

まとめ

メモ
・土砂崩れにより陸路での物資運搬はかなり過酷である
・馬を使った物資の供給は山道の入り口であるマリシ村まで

登山中、ずっと考えていたことがあります。
この痛みは、ホテルのベッドに寝っ転がった瞬間に風化してしまうんだろうと。

二度とこの道は通らないと決めた自分への誓いや、永遠にも思えた息苦しさ、あと一歩がどうしても踏み出せないあの感覚、そして山水、炭水化物の味と、休憩所が見えた時の感動。

そして、この記事を書いてる今となっては、上記の1割も正確に思い出すことができません。

だから何だという話ですが、、、

ご覧の通り、陸路での物資運搬はかなり困難を極めるため、救援物資は11月28日〜12月1日の間に海路での運搬します!

というお話でした。

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