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Googleマップにのらないフィリピンの辺境で日本人の個人が被災地支援を決めた話

はじめまして、フィリピンに住んで間もなく6年になるメイソンです。

僕は今、2018年最大の台風、台風22号(現地名 Ompong)の被災地支援をフィリピンはルソン島の北部で(首都マニラのある島)でしています。

「しています」と書くと何かしてそうですが、実際は物資のつめこみや、ガレキ撤去、NGOの雑用や被災者の話をきくなど本当にささいな活動です。

また、被災地支援やボランティア経験もない、ずぶの素人です。

ざっくりと、これまでの活動はこんな感じです。

・マニラのフィリピン社会福祉省で救援物資の詰め込みボランティア
・被災地であるカガヤン州へ移動
・トゥゲガラオ市で民家をまわりガレキ撤去のボランティア
・被害の大きいバッガオ市へ移動、NGO団体CRSのボランティアに参加
・リナワン村で教師をするDexterと出会い、行政、民間の支援が届いていないことを知る
・リナワン村、タブガン村に対し、クラウドファンディングで支援金をつのることを決める
・トゥゲガラオ市で後援してくれるNGO団体Pugad Lawin Phils, Inc.と打ち合わせ
・クラウドファンディングReady forに草案を送る
・別件の打ち合わせがあるため、マニラへいったん戻る ←今ここ

というわけで、クラウドファンディング(Readyfor)で支援金をつのり、下記2つのプロジェクト達成をめざしています。

1. リナワン村とタブガン村、約100世帯へ救援物資の支給
2. リナワン小学校の新校舎設立費用の補助

今回は、僕が「支援金をつのろう」と決めた理由をお話します。

なぜ、プロジェクトを始めたのか?

プロジェクトを始めた理由は2つあります。
1つは、支援が必要な人と場所に、支援が届きにくい状態であること。
2つ目は、地域復興のためにほんそうする、情熱をもった小学校教員に出会ってしまったからです。

1. 被害の大きさと、リソース不足から支援は届かない

10月18日にフィリピン社会福祉省が発表した最新の調査によれば、被災者は300万人を超え、31の州(全81州)が被災地となります。第一次産業への影響も大きく、農業では267億ペソ(約560億円)の損害となり、4年前に6,300人以上の死者がでた台風Yolandaにつぐ被害となります。

NGOやNPO、教会なども積極的な支援を続けていますが、被災から1ヶ月がたったいまも、カガヤン州を始めとする多くの地域で救援物資が行き渡っていなかったり、支援を必要としている人たちがいます。

上の写真は、NGO団体Catholic Relief Service (以下、CRS)のCash Aid Assistance(支援金の供給)に参加させてもらった際の写真です。

社会福祉省から受けとった被災者(家屋全壊)リストを元に、慎重な調査(経済力、家族構成など)をくり返し、受給資格者を選び、オリエンテーション後、資格者へ5,000PHP(約10,500円)を支給します。

支援先となるリナワン村も42世帯のうち、15もの家屋が全壊したものの、救援物資や支援金の支給がされていません。また陸の孤島であるこの村は、調査がむずかしくCRSもサポート対象外であり、生活の再建がとても困難な地域といえます。

参考までにリナワン村へのアクセス3通りを紹介します。

陸路:首都マニラからバス13時間+徒歩1.5日
海路:首都マニラからバス15時間+ボート7時間
空路:首都マニラから飛行機1時間+バン2時間+徒歩1.5日 or ボート7時間

電気も通っていない小さな村、まさに陸の孤島です。

2. 教師Dexterとの出会い

リナワン小学校に在籍する3名の講師のうちの1人、Dexterさん。

ボランティアを終え、CRSの方々とホテルで夕食をとっていたとき、隣のテーブルにいたのがDexterさんでした。

彼は、行政への支援要請と、セブで開かれるフィリピン過疎地域の教員があつまるカンファレンスに参加するため、道中のバッガオ市に滞在していました。

こちらのテーブルがボランティア団体(CRS)だと気づくと、彼は村の被災状況や電気の通わない村の暮らし(ソーラー電池は有り)、半壊した校舎の様子や、二次災害をふせぐため休校措置をとっていること、交通の便が悪いため行政の調査・支援が後回しになっていること、村は物々交換が主流であり、復興能力がなく、外部の助けが必要なことを熱心に伝えてくれました。

以下、リナワン小学校の被災状況です。

生徒数29名の小さな学校、その教室が半壊しました。

Dexterさんは「修理では意味がない。(台風の多いこの地域では)基礎のしっかりとした校舎を作らないと、子どもたちは安心して勉強することができない」彼は目に涙をうかべながら、新校舎建設の必要性を口にしました。

しかしながら、彼の村を支援してくれるNGOは今のところ見つかっていません。
また、行政にうったえかけるも「順番通りに支援を行っている」と、明確な時期、支援内容については回答をもらえません。

誰かが、何かをしなければ。

地域コミュニティと子どもたちのため、ひたむきに行動を続ける彼の姿に心を打たれ、「個人としてできる最大の形で協力したい」と思い、CRSでのお手伝いをやめ、僕はクラウドファンディングで支援金をつのることを買ってでました。

こんな風に書くと、僕が「いい人」だと勘違いする方もいるかと思いますが、ただ負け続けるのが、ただただ、悔しいだけなんです。

フィリピンに(特にマニラ・マラテ)に住んでいると、変えようもない現実をよく見かけます。

マニラ湾の防波堤の影で家も仕事もない男女が子作りをし、そこで生まれた子供がまた10代半ばで子をはらむ。そういう断ち切れない連鎖がいくつもあって、やがてそれがある景色も見慣れて、日常の風景の一部となってしまう。

小銭をせがむストリート・チルドレンの断り方がうまくなるたび、何かいいようもない大きなものに負けたと感じるのです。

なので、変えれる現実をちょっとでも変えれたら、それは僕の人生にとって大きな意味があるような気がしています。

それにクラファンが失敗して、行政から予算がおりず、小学校の再建費用がかさんで貯金がなくなったとしても、また働けばお金はなんとかなるし、セブに戻れば寿司をおごってくれる人もたくさんいるし、何とかなるだろうと。

最後に

自分のことを文章にするのが、ゲロ吐きそうなくらい嫌いでヘタで、駄文長文となってしまいましたが、、、プロジェクトの詳細や被災地の状況、絶えることない苦労や協力者の方々など、順をおってNoteに書いていきたいとおもいます。

クラファンを始めた際は、ご協力のほどよろしくおねがいします。m(_ _)m

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