見出し画像

ベリッシマ乗船記 7/27/2023

「お疲れ様でした〜」
子供達の泣き声や笑い声、職場仲間の保育士たちの大声が響き渡るいつも通りの喧騒の中、まるで戦争で奮闘する仲間を見捨てて逃げ出す兵士のような気持ちのまま退出の挨拶をする。
これからまだ保護者たちのお迎えがある夜7時過ぎまで勤務しなければならない正社員たちを尻目に、忙しさもピークは過ぎた昼過ぎとはいえ仕事をあがるのは、パートタイマーの特権ながら、いつもいつも気がひけるものだ。
だけど、今日だけは違う。
タイムカードを押しながら、気分が高揚していくのを感じる。
午後2時。時計をみて、自然と笑みが溢れた。

ーー今から、船に乗るのだ。幼い時から憧れ続けていた、あのクルーズ船に!

子供の頃、夏休みに訪れる祖母の家は、いつも異国のような匂いと物で満ち溢れていた。外国の服や雑貨を売る商売をしていたからか、祖母はいつもおしゃれで、華やかだった。 孔雀の羽や、顔の大きさほどもあるダチョウの卵の殻、トルコ石や瑪瑙の色が鮮やかな色とりどりのアクセサリー。今となってはインターネットで何でも買える時代だが、当時は祖母の家にある物何もかもが珍しく、とりわけ写真立ての中で着飾って、外国人と一緒に微笑む祖母の写真が、クイーンエリザベスという外国船で撮られた物だと知った時、空の旅しか知らなかった私の胸は高鳴った。
いつか、私も船で旅に出たい。それが私の夢の一つになった。

そんな夢も、時間がない、ゆとりがない、行く気がない、、、船に乗りたい気持ちが生じては、忙しない現実を前に幾度となく泡のように潰えていく。
そして3年前。意を決してシンガポール発のショートクルーズ、ボイジャーオブザシーズを予約した矢先の、コロナ流行だ。
泣く泣くキャンセルして、当分海外旅行はできないだろうとパスポートは本棚の一番上、手が届かない場所にしまった。もう私は一生、船には乗れないのかと諦めかけていた夢が、今日とうとう叶うのだ!

個人旅行代理店で申し込みをし、部屋を確保し、支払い完了のメールを受け取り、旅への期待の中、先んじてベリッシマに乗船した先輩たちの声を聞こうと登録したTwitterに散見するいくつかの不穏な発言さえ、旅を前にした私の胸には全く影響を及さなかった。
乗船中コロナ感染の報、相次ぐ下船後の発熱、ジャパネットクルーズでの阿鼻叫喚の様子、無料水消失の乱、、、現実を目の当たりにしつつも、あまり気にしないことにした。何せ私は船に乗りたいのだ。
とりあえずマイナスな情報はなるべく同行する夫や子供の目には入れないようにしようと、どんな船なのか、何があるのか、どこに行くのか、何を聞かれてもあえて曖昧にしか返事をしないことで、夫や子供の疑問をやり過ごした。何せ私は、船に乗りたい。

そうしてやってきた乗船日当日。仕事場を出て乗り込んだ車に積み込まれた荷物の中身は、Twitterの英知で練り上げられた完璧とも言える布陣だった。まず、準備にあたって私はコロナ感染を予想した。電車に乗れば私の選んだ改札に限ってなんらかのトラブルが起き出口を通せんぼされるし、スーパーでは私の選んだ列に限って前の客が支払い時に何だかよくわからないクーポンをレジ内の人に差し出したりしてレジを混乱させ、それまでスムーズに進んでいたレジが滞ったりするのだ。もうコロナにかかる予感しかしない。乗船前ハイテンションの中で奇妙に相反する謎のマイナス思考に支配され、私はマスク、除菌シート、アルコールに漢方薬、鼻うがいセットにコロナ検査キット、酸素飽和度チェッカー、体温計、ロキソニンにカロナール、抗生物質に各種アレルギーの薬まで突っ込んだ。明らかにやりすぎだったが、これは使わないだろうなと思いつつもとりあえず突っ込んだ湿布がのちのち役に立つこととなることは、この時の私には知る由もない。
さておき酔い止めは無論、先輩方一押しのアネロン。
さらに眠くなる酔い止め、眠くなりにくい酔い止めと2種を持ち込み併用することで寝る前の睡眠薬も兼ねることとした。
そして便座カバーに、各種磁石型のフック、洗濯用品に至っては、ネットで折りたたみ式洗濯機というものを見つけ意気揚々と購入した。パンツ6枚ほどが余裕で洗えるほどの大きさの折りたたみ式のバケツに、USB電源がついており、注水して電源を入れるとモーターが動いてさながら本物の洗濯機のように洗濯することができるという、便利な代物だ。これはTwitterでも使用している先輩はおらず、旅行中に使用感を自慢がてらアップするのが今回の旅の些細な楽しみだった。
薬だけでもポーチに収まり切らず大きな袋に入れ、どこの僻地に向かう冒険家かという荷物を乗せた車に乗り込んで、仕事帰りということもあり、ノーメイクにメガネ、ポロシャツにスウェットという出立ちで運転席のハンドルを握る。

乗船券に記載された指定乗船時刻はとうに2時間も過ぎていたが、本当に大丈夫なのか焦る夫を余裕の笑顔で軽くいなす。何せTwitterで先輩から出港時刻2時間前に着ければ余裕だというお墨付きをもらっているのだ。全て人づての情報源を頼りに、虎ならぬ、青い鳥の威を借る狐になりつつ、私はこの後の流れを、まるでベテランの旅人のように説明した。
大黒埠頭に到着して、目前にそびえ立つ船を車中から見上げた時、子供のような嬉しい悲鳴をあげてしまった。後ろの席に座る子供たち、6歳の次女は目ざとく頭上遥か彼方の屋上から迫り出したスライダーを見つけ、「ママ、夢みたーい!」と、親冥利に尽きる歓声をあげ、11歳の反抗期真っ只中の長女でさえおもむろに携帯を取り出し、ひたすらに写真を撮っている。映えだろう!?映えてるだろう!!!
私は自分がこの船を作ったかのような誇らしい気持ちだった。
見たか、娘たちよ。私が3ヶ月前、「お船に乗るよ!」と宣言した時にめっちゃ気だるそうに「え〜船ぇ?沖縄行ってホテル泊まりたーい」とか言っててママは頭はたきそうになったけど我慢してよかった。そして夫よ、クルーズ代の明細が入ったカードの請求書を見てそっと目を閉じていたのを知ってるよ、、本当にありがとう。
隣に座る夫に死んでもいないのに心の中で手を合わせる。
乗船口の近くで運転者以外の人間と荷物を降ろしてもいいという見事な導線、ホスピタリティーに感動しつつ、事前に調べて予約していたドライブアンドクルーズを利用して、スムーズに車を停める。今の私はさながら百戦錬磨の旅慣れた旅行者だ。

30度近い気温の中、乗船ゲートへの道を数歩歩いただけで暑さにやられて不機嫌になる軟弱現代っ子どもをしたがえて、意気揚々と進む。果たしてその先に待ち構えていたのは中川家がグアム入国審査官をコントで演じる時そっくりのベリッシマ乗船員の案内係と、船の舵オブジェを配した簡易的な撮影ポイントであった。促され、流れるように子供は舵を握り撮影へ。
前述したように私は仕事帰りのためポロシャツ、スウェット、ノーメイクメガネだった。のちに確認した写真はシングルファザーの幸せな家族旅行に小太りの通りすがりのオバハンが顔をテカらせ満面の笑顔で紛れ込んでいるような出来上がりだった。

クルーズカード制作のために並ぶ列は多少長かったが、Twitterでベリッシマ乗船時に関するありとあらゆる混沌を学んできた私にとっては拍子抜けと言ってもよいほどのスムーズさ。両腕に彫られた刺青をこれ見よがしの腕まくりで見せびらかしながらやたらとタイトなワンピースを着た奥さんと共に、自動で動く謎の近未来スーツケースに乗った子供を伴った一体なに人なのかわからない家族連れや、ウェイウェイな若者集団、恰幅の良いおばさま達や、その場にいるだけでサマになっているシングルトリッパーの女性。みんな共通しているのは、みな期待に満ち溢れた目をして全身から旅立ちの楽しい予感を漂わせていること。
飛行機ほどオートマチックでもなく、電車の旅ほど綿密でもない。船ならではの未知の旅路に、もちろん私の胸も高鳴っていた。
首尾よくノーメイクの己の写真がインプットされたブサイクルーズカードを手に入れ、とうとう乗船する。
流れ作業的に入口へ乗客たちを誘うクルーズスタッフの手が、私のクルーズカードを読み込んだ時に不意に止まり、何事か話しかけてきた。早口でよく分からない。日々オンライン英会話で己を鍛えている夫よ、今こそ力を見せるのだ、、、!と夫を振り返ると、阿吽像の吽バージョンの如く口を引き結んで固まっている。ほんと、日本人の悪いとこだよそういうとこ。この教科書野郎が!心の中で毒づいて、よくよく聞き返すとマスクをとって顔を見せろということらしい。
「ママ、こっちー」
金髪の美しいクルーにカタコトでゲートを進むよう促される。よくママ友関連の悩みで、子供を通じて知り合った母親に自分の名前を呼ばれる時、「誰々ちゃんのママ」としか呼んでくれずアイデンティティーがうんぬんと聞くが、見知らぬ外国人からママと呼びかけられるのはなかなか乙な体験である。
このポロシャツ通りすがりババアをよくぞ母親と見破ったと、よく分からない労いの賞賛を心中で送りながら、かくして私たちは無事、ついに、ベリッシマに乗船したのだった!!

一歩踏み込むと、そこはもう外国だった。
外国の香水の匂いがして、目が合うクルーの誰もがにこやかに挨拶をしてくれる。ゆったりとした歌声が上品なピアノの調べに乗って響き渡るホールは、どこもかしこも幸せそうな人々の笑顔で溢れかえっている。クリスタルの煌めく階段は想像していたよりももっとずっと煌びやかだった。
これまで何度もYouTubeで船内紹介映像を見てきたのだが、何もかもが新鮮で、思わず涙が込み上げる。
子供たちも先ほどから歓声が止まらない様子。それもそのはず、この瞬間のために私は今回のクルーズ旅行に関して北朝鮮ばりに厳しい情報統制を敷いてきたのだ。「お船のプールってどんなの?」と6歳児に問われれば、「プールはあるけど、大きさはうちのお風呂くらいかな?」とそんなわけがない出鱈目を真剣な面持ちで告げることで信じ込ませ、11歳児にも「船の中は狭いしぎゅうぎゅうづめで運ばれるけど文句は言うな、チェジュ島で韓国コスメを買うことだけを楽しみにしとけ」と、どこの奴隷船に乗り込むのか我々は、という己へのツッコミを押さえ憧れの大好きなベリッシマを下げてまで、反動で子らの喜びを爆上がりにすべく尽力を尽くしていたのだ。
あまりにも私が今回の旅行の全貌をぼかすため、不安になったらしく夫は旅行1週間ほど前に自分でベリッシマを検索して、「すごいジムがあるらしいね」とワクワクしだしていたのでその凄さはバレてしまっていたようだが、当方の趣旨を理解してくれたのか、子供たちに余計なことは言わずにいてくれた。
そんな夫でさえ、顕になったベリッシマの全貌に先ほどから「すごいね」を連発している。家族がこんなに一体感に包まれたのは本当に久しぶりだった。
一同、興奮冷めやらぬまま部屋へと向かう。

今回、私は個人で代理店に申し込みをしたため、部屋は空きのあるキャビンの中から自分で選ぶことができた。予算の都合上、悩みに悩んでバルコニーはなく、窓だけがあるタイプの部屋を選んだ。
予約後やはりバルコニーにすれば良かったと後悔して一度は代理店に問い合わせをしたのだが、変更に10万以上かかることが分かり、尻尾を巻いて今回は窓付きの部屋で良しとしたのであった。

また、今回お世話になった代理店は自分で部屋を選ぶことができるという、私にとっては非常にありがたいシステムだった。YouTubeやTwitter、よそ様の乗船ブログなどありとあらゆる情報を調べて、どこの階にするか自分なりに吟味した結果、選んだ部屋が5階の真ん中後方寄りの部屋である。
部屋を選ぶ時の優先順位は人それぞれで、景色であったり、メイン施設へのアクセスのしやすさだったり、静けさだったりするが、私は何を隠そうめちゃくちゃ酔いやすい人間。
山道を運転するときは常にオエオエえづきながら運転するし、これまた小さな頃からの夢だったハンモックを3年前に自宅リビングに取り付けた時は、乗って3秒で乗り物酔いし、それ以来ハンモックはソファーでごろ寝をする時に使う枕やブランケットの収納庫と化している。そのくらい、乗り物酔いしやすい。
クルーズ船は高層階に行けば行くほど揺れ幅が大きくなると知った私は、酔いを少しでも緩和するため、あえて景観の良さを捨てて一番低い5階の部屋をチョイスした。
のちにしみじみ痛感することであるが、これが結果的には非常に良かった。揺れに関してはやはり無いとは言えず、毎日アネロンの世話にはなっていたものの、これが高層階に部屋をとっていたらアネロンでは抑え切れなかったかもしれない。
一番低いとはいえ高さは5階、十分海の雄大さは満喫することができるし、心配していた6階のちょうど我々の部屋に位置するアーケードから響くであろう足音も聞こえない。また、レセプションへのアクセス良好、パノラマビューエレベーターもすぐ近く。次回また縁があれば5階の部屋をとりたいと思うほど私的には当たりの部屋だった。

5階のオーシャンビュールームへと続く扉を開け放った時、6歳児は2段ベッドに一際大きな歓声をあげ、11歳児と早速どこで寝るかの喧嘩を始めた。いつもなら鬱陶しい喧嘩が、こんなに微笑ましいことはない。
ディズニーシーでしか見たことがない丸い窓、そこから覗く港の景色、ふかふかの2段ベッドは見事我々庶民家族の心をガッチリ掴んだのだった。

シャワールームは洗面所に併設されていた。コンパクトながらも身長180センチ近い小太り中年夫がシャワーを浴びていても特に使いづらそうな様子はなかったように思う。私が洗面所を使っている時に夫がシャワーを浴びる様子をガラス張りごしに目撃してしまうのが玉に瑕だったが、それは夫もお互い様だっただろう。シャワーの出は強くはなかった。水質のせいか、なかなか洗顔やシャンプーの泡切れが悪くヌルヌルした感触がなかなか取れづらかった。しかし子供たちからは同様の不満の声は一度もでなかったので、もしかしたらアラフォー特有のテカリながらも東京砂漠なこの肌質が、ベリッシマのイタリア水と不思議な化学現象を成して引き起こした結果のヌメりだっただけかもしれない。
また、温度調節が難しかった。1か10しかないんかい、というくらいにシビアで、ちょっとの調節加減でいきなり熱湯になったり、水になったりしたのだが、3日目ぐらいからベストポジションを見つけることができた。

ひと通り部屋の収納を確認したり、荷物を整理したりしていると、いつの間にか避難訓練が終わってしまっていた。乗船後すぐにクルーに避難訓練に今日は参加できないかもしれない旨伝えると、明日もあるから大丈夫とお墨付きをもらっていたので慌てることもなく、夕食に行こうかと部屋を後にした。

上階のビュッフェレストランは景色が最高に良く、子どもたちと争うように景観の良い席を探し回った結果、図らずもTwitterで先輩方お墨付きの最後方テラス席に陣取ることになった。
昨今の食費の値上げにより、キウイフルーツが食卓に上がることは稀な我が家である。狩人の面持ちで勇ましくビュッフェを周回した6歳児娘がここ1番の最高の笑顔でキウイフルーツを丸ごと5つ皿に乗せて凱旋したが、あまりにも嬉しそうだったので何も言えない。

余談だがベリッシマのビュッフェは採算取れるのかMSCの経営が心配になったり、日本の物価が高すぎるだけなのかと捻くれた思いに駆られたりするくらいに大盤振る舞いだった。お味の方は生意気な長女曰くバーミア◯以上、サイゼリ◯以下、ものによっては同等ということだった。でも私的には毎日手作りされるフレッシュなモッツァレラチーズを始め、様々な種類のチーズといい、これでもかと放出される丸ごとフルーツの数々、マーガリンではない、ご自由にお取りくださいの個別包装バター(しかも一包につき10グラム!)、意外としっかりした出汁の味噌汁といい、かなりイケているビュッフェだった。

やや硬めのキウイフルーツを教えてもいないのに上手にナイフで皮を剥き出す6歳児の横で、私の血を色濃く継いでしまった長女11歳がグロッキーに背もたれに仰向けに近い形でもたれかかっていた。私はそっと子供用アネロンを差し出した。そして私もおもむろに一錠キメる。
船はいつの間にか出港していた。大海原に夢幻の世界のように目眩く白い泡の軌跡が描かれるのを眺めながら、オエエ、オエエと声なき声でえづく。私も娘もすっかりグロッキーになっていた。

全く酔わず、しっかりデザート全種類を堪能した夫と次女を伴い部屋に戻って、私はみっともない姿を見せてしまった名誉挽回とばかりに、満を持して折りたたみ洗濯機を部屋に届けられていたスーツケースから取り出した。手際よくバケツを折りたたみ状態から高さ40センチほどに組み立てて、シャワー室に配置する。各自、今日履いていた下着はこのバケツの中に入れておくように宣告し、デモンストレーションを兼ねて意気揚々とスイッチを入れようとしたところで気づいた。
取り外し式のコンセントがない。家に忘れてきたようだった。
かくして折りたたみ洗濯機は、ただのでかいバケツとして六日間、シャワー室の片隅に鎮座することとなった。(でもバケツとして役にはたった)

そんなこんなで1日目が過ぎたのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?