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「海苔」と「イタリア大学教授」の間の通訳者

海苔を研究するため来日していた、イタリアの大学教授の通訳を担当させていただいた話である。
今、冷静に考えて当時のことを思い出すと、まるでドラマのようであったと振り返ることができる。海苔に情熱と愛情を持つイタリア教授と、船生活と、1日3食とも海苔、という僕にとって長い1週間だった。

時差ボケと寒さの戦い
案件ごとに現われる、新たな地獄を丁寧に説明したいと思う。
あの頃は非常に忙しく、国内外の出張が多かった。今回お話する案件の最初の地獄は、始まる前に起こった。
「時差ボケ」である。イタリア出張から帰ってなんと2日後に海苔の世界へ向かった。
当時は名古屋に住んでたので、近鉄鉄道に乗って鳥羽まで行き、そこからフェリーに乗って島へ。そこからまた船に乗り海へ。ここまでは特に問題なさそうだと思われるかもしれないが、実は乗り物に乗るたびに、寝てた。

数時間かけて現地へ到着した。無事に着いて仕事が始まると思ったら、次の地獄は「天候」。
非常にいい天気だったが、12月中旬だったから空気だけではなく、水の飛沫も凍るくらいに冷たかった。時差ボケ、そして凍えるような気温といい勝負ができたのは、イタリア教授の情熱に心が温められたからなのであった。

海苔の始まり
ここから1週間、海苔の研究が始まった。見たこともなく、聞いたこともなく、食べたこともなく、海苔だらけ!
情熱のイタリア教授とは、寝る時間以外にずっと一緒にいたので、完全に夫婦のような関係になった。
いつの間にやら、通訳しながら「海苔を食べる?」と言われるようになった。通訳しながら生の海苔を食べる通訳者は絶対いないと思いながら、海苔をパクパク食べてた。

イタリア教授の情熱がそうさせたのか、海苔の美味しさがそうさせたのか、僕は海苔の虜になったのであった。
完全なる海苔の虜になった僕は、次なる地獄に襲われた。海苔による、胃もたれである。未だかつて、海苔による胃もたれを起こした人はいたであろうか。いたならいい友達になれそうだ。

朝食は海苔、昼食は海苔、夕飯は海苔。焼いたり、乾燥させたり、茹でたり、生で食べたりしても、海苔は海苔。海苔以外の何物でもないのである。
仕事内容は海苔、食事時間は海苔、イタリア教授といると海苔の話。
僕も海苔になるんじゃないかと思ったほど、僕の人生はこの時、海苔で満たされていたのであった。

そして海苔
事前準備は十分にして臨んだ仕事だったが、海苔の専門用語から海岸・漁業の話まで、海に関するありとあらゆる専門用語が出た。しまった!と思った時には時すでに遅く、ここは海上。電波が悪くて調べようがなかった。目で見て理解してから訳すしか、方法がなかった。
ただ、ここで唯一救いだったことは、教授がラテン語で専門用語を言っていたことだ。たまたまラテン語を勉強していた僕は、電子辞書もない、ネットも繋がらないこの地獄から、なんとか脱出したのである。

やっと使えた「ラテン語」
「ラテン語→イタリア語→日本語」という方法での通訳。言語学的には「中間言語」というプロセスである。
「中間言語」をイタリア語で言うと「lingua pivot o metalinguaggio」だ。
中間言語Pは異なる2つの言語A・Bの通訳に利用する。AからBに通訳する場合、AからPに通訳し、PからBに通訳する。
船に乗り、こんなやり方で海苔の研究を通訳するなんて思わなかった。どうやってできたか、今も知りたいくらい不思議だった。

終わりと思いきやまだ海苔
そして最後。
最終日程に、セミナー&パネルディスカッションがあった。食文化のテーマだったから、難しい専門用語やイタリアでしか使わない表現のスライドが40ページもあった。
苦労しながら準備をして、自信をつけて行けると思ったものの、当日は時間の問題でキャンセルになったという連絡をもらって、本当に泣きたかった。涙が出る地獄である。

波乱万丈の通訳案件が耐えられた理由は、イタリア大学教授のお陰だ。自分の研究に集中してる姿を見て、会った瞬間から尊敬した。
僕も通訳者として、尊敬されるように努力してもっと頑張りたいと思った。

最後のお疲れ様会では、出た料理はなんだったか。
もちろん、「海苔」である。

Massi

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。