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一人卒業旅行・1日目

あ、卒業します。

というわけで、卒業旅行に来ました。一人で。
旅行とか不謹慎なんですかね?一応ほとんど人と接触しません。

「学生はいいなぁ〜」という声がどこからともなく聞こえてきますが、最後に旅行に行ったのは4回生なのでセーフ。
むしろ行ってない方だと思う。が、コロナ禍なので、どうだろう。どうでもいいか。

16時ごろホテルにチェックインするなり速攻でシャワーを浴びて地ビールをオープンし、酔っ払いながら数年ぶりのnoteを書いています。
です・ます調とだ・である調を混ぜ混ぜにしながら、思いつくままに。
これ、書いてるときは混ざってた方が自然な気がするのに、読むときは「外国語から翻訳したのかな?」みたいに感じるのなんなんでしょうね。そんなことない?

閑話休題。卒業後は愛媛に住みます。
内定したときから関西を離れることは決まってたので、関西でやり残したことを考えた結果、お伊勢まいり・熊野詣だということになり、かなり前から決心してました。

2泊3日。1日目は大阪の実家から伊勢神宮の外宮の近くのホテルへ。道路の混み具合によってどこまで回るか決めようと思ってましたが、全く渋滞に引っ掛からなかったので、外宮に参拝した後、内宮まで行きました。歩いて。

2日目は、朝もう一回外宮→内宮に行きたいなと思ってます。元々行けるような旅程ってこともありますが、思うところがあり。昼前くらいに伊勢を発って紀伊半島をぐるっと半周し、熊野本宮大社の近くの宿へ。

3日目は熊野三山を巡って、あとはダラダラ大阪に。そんで、生きて帰って来れたら次の日卒業式です。

まず0日目、2年振りにTwitterを開きました。SNSの毒素が脳を貫くのを感じました。先日雪の比叡山に京都側から徒歩で登って遭難しかけたんですが、それでも(共有したい意味でもSOSの意味でも)SNS開く気にはなれなかったのに、今回は学生最後だからってことでちょっと共有したくなっちゃいました。

そして今朝。先述の通り、運転は快調。ホテルに聞いて車を停めさせてもらって、まずはお昼のお店を探す。家族からは「伊勢うどんというものがある」と聞いてたので、伊勢うどんのお店へ。

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太麺と濃い醤油味のたれが特徴らしい。美味しかったです。

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外宮の参道。外宮は割と街中にある。つまり、高い山を背にしておらず、街中に森がある。

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外宮の火除橋。ちなみにどこまで写真撮るかの基準として、自分ルールとしては「本殿/拝殿は撮らない。鳥居の外からでは、拝殿が見える方向からは撮らない」くらいで、「拝殿が見えない鳥居の正面」「正面に拝殿が見える鳥居でも斜めから」は撮ることがあります。不快な方はすみません。あと別に正しいルールではないので、気にしない方は神社ごとの撮影禁止区域を守ればそれ以外自由だと思います。

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鎮守の森。とても神秘的で、正宮まで行くと自然とドキドキする。後述するが、街中なのに秘められた感じがするのは実は馴染みがある。

お参りして、御朱印をもらおうかというところで悩ましいことが。「伊勢神宮の御朱印は最初のページにもらいたい」のと「外宮→内宮の順でお参りしたい」というのがあって、ちょっと考えないと納得する組み合わせにならない。わざわざ「伊勢神宮のために最初のページを空けますか?」と聞く神社もあるそうだが、自分のは空いてないので買おうと思って来た。「持ってる御朱印帳に外宮のをもらう→内宮で御朱印帳を買う→内宮の御朱印だけそっちにもらう」か「外宮で御朱印帳を買って1ページ飛ばして御朱印をもらい、内宮で最初のページにもらう」か。最初前者で行こうとして、内宮まで行って後者に路線変更した。

これにはいくつか理由があって、まず「外宮で書き置きの御朱印をもらって、内宮で御朱印帳を買って2番目に貼る」というのは、今回自分はダメ。書き置きをもらえるのは御朱印帳を忘れた時のみらしい。というか、自分の見ていた情報が古くて、コロナの影響で書き置きしかもらえないと思っていた。おそらく再開したのだろうが、ある意味時期が良すぎた。

あと、これは致命的な勘違いで、「伊勢神宮は伊勢国の一宮ではない」ということ。「内宮で全国一宮巡りの御朱印帳買って、内宮のはそこに、外宮のは持ってる御朱印帳に。内宮と外宮が連続はしないけど、参拝の順序は合ってるし、これはこれでいい」みたいな想定もあって内宮に御朱印帳を見に行きたかったのだが(これも、一宮巡りとお伊勢まいりの話を一緒に書いてるブログかなんかを読んでそう思い込んでた)、完全に間違い。正直、今回下調べがかなり甘い…。

というわけで、後述する今日の内宮では、参拝だけして御朱印をもらわないことに。元々、1日目で内宮まで行けても、2日目の朝は内宮に行く予定だったのでこれ自体はOK。朝の内宮の雰囲気も感じてみたかったので。ただ、下調べが甘かったことがどうしても挽回したくなり、少し欲張って明日もう一度外宮に参拝してそこで御朱印帳買おうかと。

先走りすぎたが、外宮で御朱印もらった後は、時間があったので5kmくらい歩いて内宮まで行くことに。なんとなく歩いて行った方が丁寧だという、完全な思い込みをしていて(と言っても今後もできるだけ歩く)、特に京都での寺社仏閣巡りは全て行きも帰りも寮から歩きである。そのおかげで雪の比叡山に飲まれかけたわけだが。
そういう人は多いと思っていたが、外宮から内宮までの道を歩いているのは自分一人だけだった。

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内宮の宇治橋。さすがに人が多くて、ここが今日一番の密批判ポイント。こっちは神秘的というより、江戸時代の「一生に一度はお伊勢まいりへ!」みたいな雰囲気を感じる。宇治橋の手前の「おはらい町通り」はさらにぎゅうぎゅう詰めで、清水寺の二年坂・三年坂のようだった。ちなみに、自分は店に入る気がなかったので、おかげ横丁は通っておらず外から見ただけ。

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宇治橋を越えると視界が一気に開ける。外宮の鎮守の森との対比で、より一層陽気を感じる。もっと言うと、外宮は「街の中に森がある」のに対し、内宮は「森に向かって行ってるのに広場が出てくる」という感じ。

調べたわけではないが、これは陰陽思想を意識して作られているような気がする。外宮と内宮が陰陽の対になっていて、それぞれの神秘性と陽気が強調されているような。

先述した馴染み・既視感というのは、下鴨神社と上賀茂神社に同じものを感じているからだ。下鴨が街中に神秘的な鎮守の森があるのに対し、上賀茂は神山に向かって行ってるのに公園のような陽気さがあって、それらが対になっている。

持って来ている御朱印帳が上賀茂神社のものなので、意識しすぎかもしれない。

話を今日の内宮に戻すと、例によってこの先は写真を撮っていない。内宮の正宮は、これも外宮とは違い、また上賀茂とも違う雰囲気だった。志摩半島にあるとはいえ海まではかなり距離があるはずなのに、正宮から先は何もないような、世界の端っこのような感じだった。

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その後は少し戻って猿田彦神社へ。勧めてもらったのでかなりワクワクして行けた。しかも、「ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神」とのことで、新社会人にとってこの上ない巡り合わせだった。

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その後、バスで外宮に帰ることもできたが、何を思ったが電車の駅まで歩く気になった。さすがに別宮を全て回るほどの時間的猶予と体力はなかったが、道中の月讀宮だけには参拝することにした。
今回が天照大神、八坂が素戔鳴尊系で、月読系の神社は中々行けてなかったし実際に少ないみたいで、実はかなり貴重な経験ができたのかもしれない。駅まで歩く気になったのも思し召しかな。

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電車で伊勢市駅まで行って外宮参道に戻り、勧めてもらった地ビールと家族用の赤福を買って、ホテルにチェックインして今に至る。

バングラの時もそうだったけど、一人旅は宿に入って日記書いてちょうど暇が潰れるくらい。写真だけよりよっぽど自分のためになる。
いや、寂しいからnoteで公開したいという気持ちもある。
モラトリアムをさらにモラトリアムした人のバカンス日記読んでも「働け」以外の感情が湧かないかと思いますが、まぁ来年から頑張るので勘弁。

明日は早起きして、せっかくなのでホテルの朝食をいただこう。
それでは。

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