今の子どもたちの特性への理解と新しい先生像
子どもたちの特性が今、大きく変わってしまっていることを、ちゃんと勘定にいれないと、大人が行う子ども達への教育は的外れになり、かつ、言うことを聞いてくれないので成り立たないです、という内容について書きます。
そのくらい、インターネットとスマホは、人の(脳と身体)の成長に変化をもたらしているのです。
子どもの教育に携わる人間は、現代のこどもたちの特性をしっかりと把握する必要があります。
現状ではそれが欠けたまま旧来の指導をしてしまっています。
だから、不具合が異常に大きいのです。
人の成長に関わる教育の場では、良いことも悪いこと(と思えること)も、どちらも当たり前に生じます。
様々な壁や困難が生じ、そのことから学びながら成長していくのですから、悪いと思うことも、実際にはとても良いことであるとも言えます。
ところが今、これが機能しません。
そのくらい状況が悪化しすぎているのです。
この状況だと子どもたちは、どんな事柄が生じても、そのことから何も学ぶことができないままなのです。
先生に叱られる、クラスで問題が起こる、しかしそれはただの不具合であって、そこから学ぶことができない。
先生と生徒、生徒と生徒、様々な関係の中で生じる事柄から学ぶことができない。
なぜか。
それは、大人の側が「現在の子どもたちの特性」を無視しているからです。
大人の想像する理想の生徒像、人間像、それが昭和から更新されていません。
学校の授業と指導方法を考えると、明治からと言ってもよいでしょう。
いずれにせよ、近・現代の理想とする生徒像、人間像が更新されないまま、デジタルネイティブの子を育てようとしてしまっているのです。
だから、子どもたちはうまく動けないし動かない。
むしろ、反発を繰り返すのです。
旧来的な指導法を用いている時点で、子どもたちのことなど何もわかっていないし、把握していなことが露呈してしまっているのです。
かつ、子どもたちは潜在的にそれを感じています。
だから、抗う。
今後、どんな制度やコンテンツ、授業方法が出てきても、それが欠けているなら機能しないままでしょう。
今のところ、登場しているそれらはその範疇を超えているとは言えません。
難しいのは、先生のような少し離れた他者だけでなく、近い存在である親であっても、彼ら・彼女らに寄り添うのは難しいということ。
親ですら、我が子と話が噛み合わないのです。
価値観の相違。
いや、相違というよりも、断絶。
今の大人は、近・現代の教育と社会システムによって大人になってきたのですから、当然のことでもあります。
子どもたちの感覚や価値観は想像すらできないはずです。
いずれにせよ、教育は未だ、大人のエゴ、大人視点、先生視点であって、子ども視点、学び手主体、に至っていません。
そのためには、ここで述べている現代の子どもたちの「特性」を知ることから始めなければならないのです。
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