「性差」からみる近世社会の一局面 ―前期怪異小説の「うわなりうち幽霊説話」を素材として―

(処女論文です。The若書き、というイメージ。お恥ずかしい限りですが。関心の所在とか方法論の祖型はあるので、一応公開。掲載は『文化史学』 51号,1995)

1、はじめに

 現代社会学において、社会とは「各人の心情のうちに「内化」しつつしかも同時に外にあるもの(客体)」であると言われる(1)。このような定義は、現代社会のみならず、歴史上のどのような社会にも当てはまるものであろう。そのように考えるとき、社会史は、客体としての社会を対象とするだけでは充分ではないということになる。人々が日常的に直面するのがむしろ内化された社会であるとすれば、その諸相を把握することもまた、必須のことがらであるといえるのである。

 近世社会史の研究においても、やはりこのことは当てはまる。しかしながら、戦後の制度史的・社会経済史的研究が客体としての社会の歴史を充実させてきたのに比べると、それらがどのように内化されたのか、いいかえればその客観的状況が当事者によってどのように生きられたのかという問題は、最近まであまり顧みられることがなかったといえる。近年になって、そのような状況にはある程度の変化が見られるとはいえ、いまだに研究そのものは高い水準にあるとはいえない(2)。その点においては膨大な蓄積をもつ江戸学や時代考証という隣接分野に及ばない面すらあるのではないかと思われるほどである。

 確かに、これらの隣接分野は、歴史学から見た場合、方法論などに問題点を多くもつものであるといえる。また、多くの場合その問題意識は好事家的で、これらの領域で扱われることがらは、歴史学研究の視点から見た場合にはあまりに些細なことのようにも思われる。

 しかし、それを一方的に批判することには意味がないのではないだろうか。むしろ我々は、たとえば民衆を闘争史観などからモデル的に捉えるあまりにそれらの成果を歴史学の側に取り入れ、位置づけることができなかったようなこと、それ自体を問題とすべきなのである(3)。

 このように、現在の近世社会史の重要な課題の一つは、江戸学的な理解と、これまでの近世史学の闘争史観などからの一面的な理解の双方を乗り越えて、より実態に即した形で、人々が近世社会をどのように生きたかを把握することにあるということができる。

 このような問題意識に基づき、ここでは、その内化の一つの局面である「性差」(4)、それも「言説化」(5)という限定された領域におけるそのありかたを把握することと、それを通じて「内化された社会像」の一局面を理解することを課題としたい。

 ここで性差の問題をとりあげるのは、それが社会的構造感を構成するものの中ではもっとも基幹的なものの一つであると考えられるからであり、「言説化」の領域でそれをとりあげるのは、我々がもっとも明示的に把握しうる領域だからである。つまり、本稿の課題は、近世の人々の性差表現を通じて、社会がどのようなものとして内化されていたかを考えることにある。

 もちろんこのような課題は、直接的に現象や実体といった「出来事」そのものに迫るものではない。しかし、それらの「出来事」を歴史的に位置づけ、意味づけるためには、このような問題を細密に検討してゆくことが、有効な方法の一つであると思われるのである。

2、史料の設定

 近世期においては、性差の言説化された史料は、かなり広範な領域から見いだすことができる。よく用いられる女訓書などは、直接的に(意識的に)それがおこなわれている史料であるといえるし、幕府の法令や判例、日記・随筆や歌舞伎、文学作品などにも間接的なそれがおこなわれている。他の雑多なものまで含めると、むしろ性差が言及されていない言説領域の方が少ないのではないかと思われるほどである。

 これまでの研究において近世の女性像を提示しようとする場合には、より直接的に、あるいは意識的に女性/男性の差異が言説化された史料が対象とされてきたことはいうまでもない。我々はある意味では、近世の人々以上に忠実に、それらの史料の提示する像を受け入れてきたとさえいえるであろう。その結果、近世社会における「性差別原則」の通底が、極端な場合無限定に現象にあてはめられてきた面があるのではないだろうか。

 もちろんこれらの史料が、ひとつの、しかも有力な性差意識の相を示しているものであることは言うまでもない。しかし、そこにあらわれたものは、ここで問題としている、アプリオリなものとしてある内化された性差意識よりは、あるべき姿として提示される、むしろそれのありかたに変更を加えようとする「意図」であるというべきであろう。それは、これらのテキストが、「現にそのようなものとしてある」性差と、「あるべき姿として語り手に明確に意識された」性差との落差から、それに対する不満の表出、あるいは修正の要求という意図によって提示されるものだからである。

 この二つの位相の落差の存在が、これまでさほど重視されず、むしろ同一視されてきた結果として、少なからず実態と乖離した、かなり極端な形で、性差別原則などが描き出されてきたのである。もちろん、それ自体は、ひとつの近世的な「性差観の実態」であるとはいえる。しかし、近世における「性差の実態」というならば、そのような意図の相よりは、むしろそれが立ち上がってくる前提の相で捉えることが、より重要であるといえよう。しかし、内化されたことがらは、それとは明確に意識されないままに用いられている時にもっとも鮮明に看取できるとするならば、このような史料からそういった相を捉えることは、難しいのではないだろうか。

 このような反省から、ここではむしろ、これまで見逃されてきたような史料の中に、対象を設定してゆくことにしたい。それは、直接的に性差が言説化されたものではなく、何かが言説化されるときに、その要素として性差が表出されているものを史料とするということである。

 ここでは、そういった史料の中から、近世的要素が比較的強くあらわれていると思われ、かつ統一的な手法による分析と再検証が可能であると考えられる、次のような事例を分析対象として設定してみる。

(事例①)

豊後の国何がしの女ばう死骸を漆にて塗りたる事

豊後の国に何がしの有りけるが、此つま十七さいにて、かくれなきびじんにて、夫婦のなかよきことたぐひなし。この男つね  むつごとに云ひけるは、「御身われよりさきだち給はゞ二たびつまをももつまじき」などゝいひかわしけるが、あるとき女ばう風のこゝちしてつひにむなしくなりにけるが(略)男いひごんのごとくに、女のはらをあけ、米を入れ、うるしにてぬり、ぢぶつどうをこしらへいれをき、それより二とせばかり妻をももたずねんぶつしてゐけるが、友だちむりにすゝめて妻をもたせけるが、此つまいかなるしさいともいわず、いとまをたまわれとしきりに云ふ。(略)そのゝちいくたりよびても、みなをなじごとくにいひてかへりければ、ただ事ならずとおもひ、さま  きたうなどして、又妻をよびむかへければ、まことにきたうのしるしにや、此たびは五六十日ほどもなにのしさいもなかりしが、ある夜の事なるに、(略)女のこゑにて、「ここをあけ給へ」と云ふ。しかれどもいづれもをそれておともせず。時に女、「こゝをあけ給はずはぜひもなし。まづ此たびはかへるべし。かさねて参りて御とぎ申さん。それがしがまいりたることかまへて夫にかたり給ふな。もしもかたり給ふものならば、御身のいのちは有るまじ」とて、又しやうごをうちかへりける。(略)(後妻が:筆注)「われらにはいとまを給はれ」と云ふ。夫ふしんにおもひ、「にわかになにちてかく云ふぞ」とゝひければ、ぜひなくゆうべのありさま物がたりしける。(略)夫またほかへ出でけるあとあとにて、夜半のころまたおもてよりしやうごのをとしてきたる。(略)本妻はねむらずいたる所に、二重三重の戸をさらり  とあけてはいるをみれば、こくしきぬりたるをんななりしが、たけとひとしきかみをゆりさげて本妻をつくづくとみて、「あらなさけなや。いぜんそれがしがまいりたること夫にかたり給ふなと申せしに、はやくもかたり給ふこと、かへす  もうらめしや」と云ふよりはやくとびかゝり、本妻のくびをねぢきり、おもてをさしてかへりける。(略)夫おどろきぢぶつどうをあけてみれば、かのこくしきなる女のまへに、今の女ばうのくびあり。夫いふやう、「さて  なんぢはひきやうものかな」とて、ぶつだんよりひきおろしければ、かの黒色の女ばう眼を見ひらき、夫ののどくびにくいつきければ、夫もつゐにむなしくなりけると也。

(諸国百物語巻二の九)(6)

 これは延宝五年刊行の仮名草子『諸国百物語』に収録された百編の説話のうちの一編であるが、これがいわゆる幽霊説話の典型的な類型のひとつに属するものであるということはいうまでもない。このタイプの幽霊説話は、近世を通じて語られ続け、化政期には鶴屋南北の怪談ものなどの形で完成されるものであるが、近世期にもっとも流行した話柄のひとつである。これらは池田弥三郎によると「うわなりうち説話」と呼ぶことができるものであるが(7)、この事例は、そのような話柄が、仮名草子として言説化されたものであるといえる。池田の指摘するごとく、このタイプの説話自体は、ある時期に特定されるものというよりは、むしろ通時的普遍性をもつものであるというべきであろう(8)。しかし、ここで問題としているのはその伝播ではなく、伝播されたものが対象とする時期にどのような性格を獲得しているのかということにある。

 この事例のような特質をもつ幽霊説話は、前期怪異小説と呼ばれる一連の史料の中から、相当数検出することができる。

 前期怪異小説というべき一連の作品群は、近世前期において人々が実用以外の意味でもっとも熱心に創出した分野の一つとしてあげることができる。その文学史上の役割は大きく評価されているが(9)これらの小説群は、中世以来の仏教説話と、新来の中国怪異小説、能などの芸能、そして巷談のような雑多な情報が、怪異についての語りというとりまとめによって集積されたものと考えられる。文学史的には都賀庭鐘『英草紙』を画期として、それ以前の短編怪異説話集を指す。通常の作品区分に照らしてみると、仮名草子・浮世草子と呼ばれる作品を中心に、かなり広範な領域のものを含んでいる。

 ここでは、それらの中でも仮名草子期のもの、かつ、仮名文脈のものを中心的な対象として考察を進めてゆくことにしたい。これらを一括して共時的な分析対象とすることは不可能ではないが、草子そのもののジャンルの変遷や著述意識、出版技術の向上、需要層の変化といった、「モノとしての草子」、「モノとしての怪異小説」ということをも考慮するならば、いくつかの区分を設定して、そのひとつひとつを細密に検討してゆくことが必要であると思われるからである。あくまで便宜的なものだが、仮名草子期という区分は、文学者のいう「作品の質的変化」という意味からも、出版資本の形成という客観的な意味からも、不当なものとはいえないであろう。また、一般的に近世的な諸関係が完成されるのが元禄期であるといわれており、仮名草子期はその意味でも形成期に当たる(10)。近世社会の特質とその変遷を考える際の起点としても、この時期を検討しておく意味は大きい。

 このようなことから、ここでは、対象とする時期を、最初の怪異小説出版から元禄直前の『西鶴諸国はなし』までに限定しておくことにしたい。その場合、対象となるのは(表①)の作品群であり、そこから抽出できる類話は(表②)の通りである(11)。

 そして、言説化の史料としてみた場合、その特色は次のようなものであるということができるのである。

①「怪異の重視」

②「現実性の強調」

 一の特色は、この事例を収録する『諸国百物語』という史料全体、ひいてはその所属する怪異小説というカテゴリー全体にみられるものである。太刀川清氏が指摘するように、これらの事例の属する仮名草子怪異小説という領域では、怪異の趣向は伝達されるが、直接それに関係するものであっても目を引かないものは伝達されないという特徴がある(12)。これは、たとえ原型が存在するにせよ、仮名草子の怪異説話は単に引き写されているのではなく、常に共時的なできごととして語りなおされているのである(13)。

 また、これらの事例を収録する怪異小説集は、現実性を強調するという特質をもっている。しかもそれは、仮託を用いてでも「語られたもの」であることを強調し、「証拠正しきもの」(14)であることを主張するのである。それは、国文学者が指摘するような修辞のテクニックであるばかりでなく、あくまでも怪異」に現実性を与えるためのものであったと思われる。「彼等にとつて怨霊幽鬼の活躍する国は決して超自然の領土ではなかつた。冥府も仙境も凡て人間界と共通する現実の姿に外ならぬ。たゞ僧侶桑道の安住する仏門のみが所謂浮世とは距たつて居た。要するに怪異小説の描いた世界は、一般の浮世草子に現はれた世界と何等の差別も距離もない」のである(15)。

 このようなことから、これらの物語は、怪異の趣向を現実的に語ることを目的とするものであるということができる。

 つまり、怪異以外の諸構成要素は、語りに現実性をもたらすものとして語られ、言説のあり方を規定しているということになる。しかもこれらの事例では、男性/女性の関係を通じて、怪異への現実感の付与が行われており、もっとも有力な現実感を提供している。いいかえれば、もっとも堅固な現実として性関係が描かれているといえるのである。

 以上のことから、これらの史料の有効性は、あくまでも仮名草子という語りの場に限ったものではあるが、少なくともそこで付与される現実感を検出しうるということにあり、そしてそこでもっとも堅固に現実感を付与しているのが、性差であると考えられるのである。では、その現実感の付与は、どのような形で行われ、どのような形で言説構成に用いられているのだろうか。

3、男性/女性に付与される属性

 説話史料の使用方法・分析方法にはいくつかの選択肢があるが、ここではタイプ・インデックスや構造分析などの通常用いられる手法はあまり有効ではない。これらは、説話の筋立てや伝播経路・普遍的な要素の考察には有効であるが、ここで取りあげようとしているのは、先に述べたようにむしろ可変的な側面だからである。民俗学的な研究は、説話の「古層」の抽出を目指すものであるが、ここで着目しているのは、表面的な、いわば「新層」であり、なおかつ著者の個別性以外の要素なのである。ここでは男性/女性を記述する際に与えられる属性に着目して、分析を行う。これは「性」そのものに対して与えられる属性、男性/女性というカテゴリーの表象内容を把握するための作業である。

 ここでは、「男」「夫」/「女」「娘」「妻」というように、それぞれのカテゴリーに属する言葉をキーワードとして設定し、詳細なインデックスを作成し、そのインデックスに基づいて、それぞれに対して与えられている修辞の内容を比較・考察するとい

う手法をとった。

 紙数の不足でインデックスすべてを掲載することはできないが、そのような作業の結果としては、次のようなことがいえる(表③)。

 まず、女性は「をんな」もしくは「女房」という一般名詞で指示されることが多く、固有の名前で指示されることは少ないということができる(表③①A)。そうでない場合でも、「妾」「妻」のような、男性との関係性に基づく呼称、または「母」「娘」のような、家との関係性に基づく呼称が与えられている。女性たちの呼称は比較的容易にインデックス化が可能であるといえるが、それはつまり女性をさし示す言葉が非常に類型的であるということでもある。

 それに対して、男性の呼称はインデックス化が非常に困難である。それは、男性に対してはなんらかの形で固有名が与えられる場合が多く、また、そうでない場合も固有の職業名などで指示され、呼称が個別的なためである。これは、男性の呼称が、多くの場合社会一般との関係性に基づくものであるということでもある(表③②A)。

 少なくとも呼称の性格から考えた場合には、女性はほとんど個別の対象として扱われておらず、女性一般のように語られているのに対して、男性はかなり個別化されて語られているということが言えるようである。

 しかし、その呼称に対する修辞に目を移すと、それとはまったく正反対のことを読みとることができる。

 男性がほとんどその個人的特性・性向などに言及されることがないのに対して(表③②B)、女性はその面では、強く個別化されているのである(表③①B)。男性に対するそれは、「がうのもの(剛の者)」「いたづらなるをとこ」「美僧」という例が小数検出されるにすぎないのに対して、女性の側にはほとんどの事例で「嫉妬深き」「うつくしき」「わかき」といった個人的な特性にかかわる修辞がなされている。確かにこれらの修辞自体も類型化しているものであるとはいえるが、「れいならず」と言ったような言葉の付与によって、一般的な女性の属性から修辞対象の「女性」は分離され、個別化されている。さらに、このような面での男性の個別的特性が類話間で簡単に消滅・可変してしまうのに対して(16)、女性の個人的特性の描写は、そのまま維持されるのである。

 これらのことからわかるのは、これらの史料においては、「女性」と「男性」のどちらかが個別化されていてどちらかが類型化されているとはいえず、むしろ相互に個別化の相が異なっているというべきだということである。そしてその「個別化の層の相違」とは、男性は、いうならば外在する社会によって個別化され、女性は個人的な特性によって個別化されているということである。

 このことは、言説化という領域においても、「公的」な領域は「男」に付与されることが多く、「私的」な領域は「女」に付与されることが多いということである。これは、今までいわれてきた、「社会から疎外された女性」という近世の女性像と一致する結果でもある。しかし、ここからは反対に、「個人性から疎外された男性」という像も浮かび上がってくる。極端にいえば、これらの事例においては、男性には社会的特性以外の「個性」はほとんど付与されていないということでもある。「がうなるもの」という「個性」もまた、実は外在する社会に対する姿勢であり、また、「うつくしい」「わかき」という属性は社会的に位置づけられない存在(僧侶)に付与されていることをも考慮するならば、この点での性差関係は、まさに「公的な男性」と「私的な女性」という特質を持っているということができるのではないだろうか(17)。

4、性差の機能

 以上のような条件を念頭に置いた上で、はじめにあげた事例を検討してみよう。関係性に重点をおいてみた場合、この事例は、およそ次のような展開をもつものであるということができるであろう。

①通常の関係(「夫婦のなかよきことたぐひなし」)

②異常事の発生(「あるとき女ばう風のこゝちしてつゐにむなしくなりけるが」)

③関係の破壊(「友だちむりにすゝめて妻をもたせけるが」)

④「祟り」現象の発生(「此つまいかなるしさいともいわず、いとまをたまわれとしきりに云ふ」~「本妻のくびをねぢきり、おもてをさしてかへりける」)

⑤「祟り」の終焉(「夫いふやう、「さて  なんぢはひきやうものかな」とて、ぶつだんよりひきおろしければ、かの黒色の女ばう眼を見ひらき、夫ののどくびにくいつきければ、夫もつゐにむなしくなりけると也」)

 ここで注目されるのは、「祟り」現象が、死によってではなく、死後の関係性の破壊によって生じているということである。この事例では、「祟り」の直接の原因は「御身われよりさきだち給はゞ二たびつまをももつまじき」という約束が、「友だちむりにすゝめて妻をもたせける」ことによって破られたことにあるのである。これは、生前の夫婦関係が持続されている限りは、「祟り」という形での死者からの影響力の行使はないということでもある。しかし、そのような関係性の維持は、具体的には「友だち」という形をとって現れる社会の側の要求条件とは合致せず、新たな妻の出現という、従前の関係性の破壊がもたらされることになる。この場合の社会的要求とは、子孫を増やし家の存続をはかるべきであるという、近世社会のもっとも基礎的な要求事項であるといえよう(18)。それに対して、死んだ妻は従前の関係の持続のために当初は後妻たちを追い払うという形で、後にはその命を奪うという形で、影響力を及ぼすのである。ここで興味深いのは、死んだ妻は、後妻に対して「それがしがまいりたることかまへて夫にかたり給ふな」と述べているところであり、実際にはこちらの約束が破られたことで後妻は命を奪われるのである。

 生前の関係が死後も維持されるべきであるというコードの存在は、次の事例からより明確に読みとることができる。

(事例二)

幽霊読経にうかみし事

慶安の比か、津の国内瀬といふ所に、百姓の妻はてけるに、其七日めに又他の妻よべり。例すくなくぞ侍る。まだき涙に袖ひぢて、跡とふらひこそせめなどゝて、巷、「めやすくもなし」とそしる。案のごとく後の妻くると、其まゝ物化づきて、夜も日も物ぐるほし。女の父母、「さやふの所にながらふべきなし。返れ」といへど、ふかく思ひ入て、此女かへるべき覚悟はなし。(略)親しき人、其男に異見するは、「死て七日めに、今の妻をよび、跡もしか  弔ひ給はず。御身の誤りにあらずや」といふ。男、げに尤なりといそぎ我寺に行き、(略)念仏廻向す。(略)其夜より幽霊きたらず。妻も本性になれり。あらそはれぬ事にあらずや。またいそがしさうに後の妻よびたるも新しき事なり。はたうらみざるべきか。

(『宿直草』巻三の十二)

 この事例では、「めやすくもなし」というように、はっきりと死んだ妻との持続性が軽視されるべきでないことがいわれている。しかも、そのような持続性を軽視する場合には、新規の関係はむすばれるべきではない(「さやふの所にながらふべきなし」)のである。ところが、ここでは後妻の個性(「ふかく思ひ入れ」)が新たな関係を成立させてしまい、死んだ先妻の祟りが引き起こされることになる。事例一では、二つの関係の持続性が衝突した結果双方の関係が破壊されてしまうが、こちらの事例では「念仏廻向」という手続きによって双方の関係が維持され、最終的な悲劇にはいたっていないのである。

 このことからは、これらの説話に作用している最も基調的なコードは、「関係性は維持されるべきである」というものであるといえよう。

 しかもこのコードは、関係性そのものの正当性とは無関係なところで作用するのである。

(事例三)

恋ゆへころされて、其女につきける事

伊勢の国かとりといふ所に、浅原七右衛門といふ牢人あり、一人のむすめを、もちたり、(略)被官のものに、猪之介とて、廿四五のおとこの有しが、此むすめを、おもひかけて、すきまをねらひ、さま  いひけれとも、つゐになびかず。かくて、猪之介わづらひつき、(略)傍輩の下女に、かたりけるやうハ、(略)執心ふかく、まよひなば、娘子の御身も、おもふやうにハ、あるべからずと、なみだを流して、かきくどきけり(略)七右衛門、大にはらをたて、譜代の下人として、主のむすめを、おもひかけて、その望ミを、とげぬとて、わが娘の一代、思ふやうにあるへからず、と、いふこそ、にくけれ、とて、ふして居ける猪之介を、引出し、首をはねけり。その夜より、かのむすめの目に、猪之介がばうれい、あらハれみえて(略)娘もわづらひつきて、いくほとなく、むなしくなりけり。(略)執心ふかく、おもひ入けるこそ、おそろしけれ。

(平仮名本『因果物語』巻四の一)

 この事例においては、主人が下人を殺すことで従前の関係が破壊されたことが直接の原因となって、祟りが生じている。明示化された道徳的観念からすれば「おそろしけれ」としかいえないような、下人の深い「思ひ入」ですら、これらの事例では維持されるべきものとして配置されているのである。つまり、この事例からは、「関係性の維持」が、関係そのものの正否の判断を超えて優先されているということができるのである。

 このことは、事例内部の構造からのみならず、類話間で、関係そのものの正当/不当というようなことがらが、たやすく転倒してしまうということからもみてとることができる。たとえば『因果物語』巻二の一と『諸国百物語』巻四の一は、構造的には類話であるが、祟るものが前者は妾、後者は本妻で、表面的にはまったく逆転した構図となっている。つまり、これらの事例では、「関係性の維持」という基調コードは、どのような水準の関係性にもひとしく作用しており、それぞれの水準間の価値判断よりも優先されているということができるのである。いいかえれば、基調としてのコードは、どの水準のものであれ関係の維持を要求する上、水準間の優劣関係とは無関係に、最優先事項として存在しているのである。

 そのため、何らかの形で一方が一方の要求を満たせなくなったとき、「関係は維持されるべきである」という基調コードは、二者択一的な選択を迫りつつ、選択されなかった側にも正当性を付与するものとして作用することになる。ある水準での関係の維持が違う水準での関係の維持を不可能にする場合、深刻な齟齬をきたすのである。

 このことから、これらの事例群は、そのような齟齬の表面化と、それに対する対処のあり方を言説化したものであるという事ができるのである。

 このような齟齬は、関係性のすべての水準を一様に維持することが不可能である以上、あらゆる局面で発生しうるはずである。しかし、これらのうわなりうち幽霊説話においては、表現されている関係性の水準はそれほど多様なものではない。

 事例一から見いだされる、①私的関係の水準(夫婦間の愛情関係)②公的関係の水準(無理に再婚を勧める社会との関係)という二つのレベルが、これらの説話に現れてくる関係の中心的なものなのである。いいかえれば、これらの史料は、この二つの水準での齟齬を基調コードにそって処理するというかたちで言説化が行われたものなのである。

 これらの事例群において通常の関係として描かれている状況、事例一で「夫婦のなかよきことたぐひなし」というように表現されるそれは、私的水準と公的水準の双方の関係の維持が、齟齬なくおこなわれている状態であるといえる。祟りが起きるのは、何らかの異常事によって、私的水準での関係の維持が公的水準でのそれを困難にするような場合、あるいはその逆の場合なのである。しかも多くの場合、私的水準の関係を維持しようとする側に女性が、公的水準の関係の側に男性が配置されているのである。

 これは、前節でみたように、女性に「私としての個別性」が、男性に「公としての個別性」が付与されているということからすれば、むしろ当然のことのように思われる。それぞれの水準での関係性が、それぞれの水準を表象する性の行動によって守られるという構図を持っているのである。また、これらの事例においては、表面的には公的水準の関係の維持は、私的水準のそれに優越するものとして描かれている場合が多い。私的水準への固執は「嫉妬」や「思ひ入」といったマイナスの評価が与えられることが多く、そうでない場合でも一定の手続き、たとえば供養のようなもので消滅させられてしまう場合がある(19)。これは、明示化された意識の中では、公的領域は私的領域に優越しているということであり、男性の側に付与された属性が女性の側に付与された属性よりも重視されているということでもある。

 ところがこれらの事例では、「女性」はそのような明示化された評価を無視し、優越すべき公的領域に祟りをなす存在として描かれているのである。そして、まさにそのことによって、明示化された価値判断と、抜きがたくある基調コードとの衝突や二者択一を回避しているのである。いいかえれば、そのような明示的な価値判断との衝突を、「女性」の属性、あるいは私的な特性に還元してしまうことで、それを「特殊な出来事」であり、一般的な問題ではなくしてしまうのである。あらゆる局面で起こりうるはずの基調コードと明示化された価値判断との衝突/齟齬が、男/女間の局面に限定され、しかも個人的な資質や女性の属性に還元されることで回避され、隠蔽されているのである。

 このようなことが可能なのは、前節であげたように、性差の構築の中で、女性が「一般的に個別的な存在」であるとされているからである。一見矛盾しているように思えるが、男性よりは女性の方が「個性的」に描かれているということと、その「個性化」そのものが類型化されていることから、このことは明白であろう。したがって女性の行動は、社会的なものというよりは私的なものとして位置づけられうるのである。

 つまり、これらの事例は、「関係を維持すべきである」という基調コードに基づく、いうならば根本的には社会的なものでしかない行動を、女性という表象に付与されることによって、私的なもの、特殊なものとしての行動に巧妙にずらして言説化しているのである。

 つまり性差は、少なくともこれらの事例、すなわち仮名草子におけるうわなりうち幽霊説話という言説化の領域においては、基調コードと、価値判断のような明示化されたものとの、齟齬の解消装置としての機能を果たしているのである。

5、おわりに

 以上のようなことから、対象とした事例群における言説構成の特徴は、性差表現からみる限り、次のようなものであるという事ができる。

 まず、基本的にはこれらの事例群は、「関係はいかなるものであっても維持されるべきである」というコードにしたがって構成されており、そのコードに実際の出来事や価値判断をどのように適応させるかという基準から、言説構成が行われたものであるといえる。そのひとつのあり方として、私的/個性的な性として構築された女性と、社会的な性として構築された男性との性差を利用した、問題の特例化というものがあり、これらの事例は、そのような方法によって基調コードと明示化されたものとの間の齟齬を隠蔽しながら構成されている。ここからいえるのは、近世前期においては、性差というものが、少なくとも言説化の局面では社会イメージの齟齬や分解に対する防御装置として機能していたということである。ここでは、女性の神秘化や個性化(たとえば霊性の付与のような)は、女性の本性に関わるものというよりは、その機能の付与のために不可欠なものとして構築されているのである。つまり、「関係は持続すべきである」という基調コードをもつ社会の像を、自らをとりまく現実と矛盾なく内部に構築するための装置として性差が用いられており、仮名草子における言説化に際してはその矛盾の隠蔽装置として性差は機能しているのである(20)。したがって、仮名草子期の言説においては、性差は社会像を構築するための文化的構築物であり、特に女性は矛盾の解消装置として機能していたということができるのである。

 しかし、これらの結論はあくまでもきわめて限定された領域から導き出されたものに過ぎない。このような、社会的フリクションの解消装置としての性差構築は、おそらくより広い言説化の領域、あるいは言説化をふくめた日常行動の領域で、近世社会のありかたを規定していると思われるが、それがどの程度、客体としての社会に反映され、または規定されているのか、より具体的には、個別的な人間の行動をどのように規制しているのかというようなことは、おそらく、今後に残された重要な課題のひとつであろう。また、ここで「基調コード」としたもの自体の成立や変化、性差以外の処方に関する検討なども、等閑視することはできないと思われる。

 少なくとも、近世においては内的な社会像の構築に不可欠なものとして「性差」が構築されているということは指摘できたと考えるが、より広範な領域・水準で、より具体的に性差の社会的な意味、その構築のありかたを検討してゆくことが、今後の課題であるといえよう。

(注)

(1)石川実他編『日常的世界の虚と実 アイロニーの社会学』、有斐閣、1983。

(2)塚本学氏のなどの成果もあるが、現状は「江戸時代の民衆が日頃どのようなことを考えながら生きていたのかという問題は、興味深くはあっても追求することの難しいテーマである(略)民衆の真実の意識を記録した文献資料が非常に少ないためである」(布川清司「近世農民の家族意識 陸奥の国の農民の場合」、『江戸の民衆と社会』、吉川弘文館、1985)という状況にある。

(3)次のような「民衆闘争史観」の強調が、江戸学の描く近世像への批判にはなり得ないことは明らかであろう。「そんな日本の近世像に慣らされてきた、人々に、最近の「江戸もの」は、なんとも明るく生き生きとした都市社会を描いてみせた。(略)どうせ体制なんか変わりっこないのだから、江戸の住人たちのように、せいぜい人生を愉快に生きたらどうだ、といわんばかりだ。(略)人々は、生産にはげみ商業活動を続けながら、世の中を憂え社会を変え、身分上のさまざまな統制や束縛からの解放を願望してたたかいをくり返してきたし、自らが生みだした文化に武士を同化させるなど、下から幕藩制国家を揺り動かすほどになった。そうした事実は、さまざまな分野で山ほど積み上げることができる。ただこれまでは、このような実証的成果を汲みあげ総体化して、新たな近世像を描ききれないできただけのことである。」(青木美知男他『争点日本の歴史』第五巻(近世編)、新人物往来社、1991、「まえがき」)

(4)ここでいう「性差」とは「文化的性差」、いわゆるジェンダーに限定している。その歴史性についてはロバート・W・コンネル(森重雄他訳)『ジェンダーと権力 セクシュアリティの社会学』(三交社、1993)第七章などに詳しい。

(5)「言説」という言葉はやや多義的に過ぎるが、本稿では「記述されたもの」の意味に限定して使用している。

(6)以下、『諸国百物語』は太刀川清『近世怪異小説研究』(笠間書院、1979)及び同編『百物語怪談集成』(国書刊行会、1987)所収の翻刻を使用。平仮名本『因果物語』は『仮名草子集成』第四巻(東京堂、1983)、『曽呂利物語』は『近代日本文学体系』第十三巻(国民図書、1927)を原本と参照して使用、『宿直草』は叢書江戸文庫二六『近世奇談集成』(国書刊行会、1992)を使用した。

(7)池田弥三郎『日本の幽霊 身辺の民俗と文学』(池田弥三郎著作集 巻五所収)

(8)たとえば『諸国百物語』巻一の八は、『今昔物語』中の一話(本朝部巻二四「人の妻、悪霊と成、その害を除く陰陽師の語、第二十」)とほぼ同じ内容をもつものである。しかし、双方の事例は、同じ物語でありながら、性差に関してはまったく異なったコードによって構成されている。この件に関しては、別の機会に詳細に検討することにしたい。

(9)ごく初期から、たとえば潁原退蔵「近世怪異小説の一源流」(『潁原退蔵著作集』第十七巻所収)などがその重要性を指摘している。

(10)今田洋三「元禄享保期における出版資本の形成とその歴史的意義について」、『ヒストリア』19、1958

(11)近世怪異小説には、中国白話小説の影響が強く見られる「伽婢子系」と、世間話的色彩の強い「諸国話」系が存在しているが(野田寿雄「怪異小説の展開」、『国文学 解釈と鑑賞』二六巻一号、1961)、ここでは後者のみを対象としている。また、諸国物語系に属するものであっても、個人の事跡を主眼とするものは除外した。これは、恣意的な史料選択をおこなったということではなく、各史料群について別個に検討すべきだからである。

(12)「話者の関心は先行作の怪異の様態にある。それも表面に現れたところにひかれて、その様態を忠実に叙べようとする。そのため表面に現れない趣向など、たとえそれが説話の核心にふれるものであっても往々見落とされてしまうのである。(略)そうした肝腎の箇所をすべて省きながら、『諸国百物語』では表面に現れた怪異の様態は忠実に移し伝えられているのである」(太刀川、前掲書)

(13)「此双紙はその国々の諸人も聞き及び見及びたる咄の証拠たゞしきをあつめ」(『諸国百物語』序)といったように、これらの史料は所収説話の情報性を強調するという特色を持っている。このような「世間話」的な性格は、日野龍夫『江戸人とユートピア』(朝日新聞社、1977)などでも指摘されている。

(14)注13のほかにも「此書ハ、証拠たゞしきものを、あつめて、末世の衆生を、すゝめんがために、かきとどめられしところ也」(平仮名本『因果物語』)といった記述はすべての史料の序文にみられる。

(15)鈴木敏也『近世日本小説史』、1920

(16)表②の3・5・17・19・27の類話間でも、男性の属性はまったく変化している。

(17)「下女」「妾」という表現もある意味では社会的地位をあらわしているといえる。これらを含めるならば、あるいは女性は過剰に個性化されている、もしくは男性は個性化が欠落している、というべきかもしれない。

(18)回の対象史料ではないが、享保十七年刊の『太平百物語』にそれを明示する記述が見られる。また、ラフカディオ・ハーンは、この説話をもとにした「破約(Of A Promise Broken,1901)」において、再婚の理由を跡取りがないこととし、同様のことを指摘している。

(19)表②・5など。ただしこれは「供養」という形での関係性の持続を表現しているともいえる。

(20)民俗学でよくいわれる「女の霊力」や「妹の力」といった観念も、「女性の本性」よりはむしろこのような社会コードによって構築されているものであるといえよう。だとすれば、「女性の本来持っている自然の性が(略)亡霊として出現する機会を多くした」(諏訪春雄『日本の幽霊』、岩波新書、1988)というような見解には再検討が必要であろう。

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