「松田優作“ブラック・レイン”に刻んだ命」

「松田優作“ブラック・レイン”に刻んだ命」

もう30年以上昔の話で、11月の冷たい雨が降る日、歌舞伎町の映画館で松田優作の遺作となったブラックレインをみた。優作さんを思い出す際には、探偵物語の再放送を見ていた夏の夕方と、この歌舞伎町の寒さを思い出す。いつもテレビかスクリーン、雑誌やラジオを通して触れるしかなかった松田優作という人に対して残っている身体的な経験は、日中の暑さに一息ついているころと、一雨ごとに秋が深まりヒンヤリしてくる気温であるのだ。
そのブラックレインの撮影現場を証言とともに蘇らせ、優作さんが何を思い残して死んだのかを描きだす番組をNHKでやっていた。
石橋凌が「日本人がハリウッドにでていゆく障害としてユニオンと英語、そして偏見」と優作さんから言われていたと語っていたと言っていたが、それは当時に発行されていたどこかの雑誌で読んだことがある。で、確かデ・ニーロを共演する話があるから成功させるとも。
(何年か前に、なにかのCMで龍平がデ・ニーロを共演をしたが、デ・ニーロ自身が優作さんとは共演の話があって、その約束を龍平と果たした、みたいなことをしゃべっていた記事もどこかで読んだ)

つまり、ぼうこうがんから復活してデ・ニーロとか世界と渡りあうつもり満々だった。野獣死すべしで歯を抜いたり、遊戯シリーズではタクシードライバーのデ・ニーロ(You talk tome?ってやつ)のまんまマネみたいなのもあっただが、そこから15年で憧れを現実にするつもりだった。

で、寒い新宿歌舞伎町に戻ると、映画を見終わって、松田優作がハリウッドでもいける、とすごく期待するものだったのに、それは不可能なのだ、ということに頭が混乱した。マイケル・ダグラスも高倉健もなんか中途半端にまともで正義で、優作さんは純度100%の悪になりきっていた。振り切っていた。リドリー・スコットはさすがだ、とも思った。その真っ黒さをちゃんと撮ってみせてくれた。
ブレードランナーでレプリカントでもやってもらったらよかったと思うよ。

そこから優作さんの不在がづっと続く。それを埋めるものはなにもない。あんな役者、二度と出ないと思っていたら本当にでなかった。破滅型の役者そのものがいなくなったから、それに世の中はコンプライアンスでSDGsで、昭和は揶揄される対象だ。優作さんが仮に存命だったとしてもこの日本人は居場所がなかったかもしれない。

松田美由紀と夫婦でいた時間は10年くらいだろうか。この番組では沢山泣いていた、その姿は本当にせつなかった。優作さんには美智子さんって奥さんがいたのだが、娘さんが一人いらっしゃった。この奥さんとの話は「越境者」って本に詳しく書かれている。劇団入ってすぐに辞めて、インディーで道を切り開いて、テレビで成功、それに飽き足らずにもっともっと世界を切り開く優作さんは、探偵物語での共演をきっかけに熊谷美由紀に惹かれてゆく。

この番組で初めて知ったことは、ブラックレインで優作さんが演じた役に対しては、候補が他にも3名いると当時の新聞が報じていたという。
萩原健一、根津甚八、小林薫、
状況劇場が2名、唐十郎でないことを唐はどう思っただろう。
この4名のうち薫を除く3名がすでに鬼籍。
ショーケンは自著で「松田優作は俺のマネして歌ったり芝居したりしている」と語っているが、その当時、誰もそんなことは思っていなかっただろう。ショーケンの80年代はワイドショーのネタになるようなことばかりをしていたから、ハリウッドに行くのは難しかったように思うが、仮にキャスティングされても成功しなかったように思う。
根津甚八は決定的に違うので、どちらかといえば孤独、はぐれもの、だから。小林薫はイメージがわかない。
いずれもなぜ候補にあがって優作さんと名前をならべられた理由はわからんが、おもしろい人選だとは思った。根津甚八はその後しばらくすごかった、体を壊すことになってしまったが、すばらしい役者だった。なのだが、ブラックレインは優作さん以外はいなかった。

優作さんの伝説化されてきたが、ぼちぼち記憶の彼方に行ってしまうようにも思える。探偵物語が再放送できれば新たなファンの開拓もできそうなものさが、時代がそれを許さないからな。

せつないさがさらに湧いてくる。

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