紬とは?

着物の好きな人は紬にはまると言いますが、まさしく非常に奥の深い、大変味わいのある着物なのではないかと感じています。着物として、長所も多く、非常に着やすいのですが、やっぱり格の低い着物とみなされてしまうようです。でも、そこさえ押さえておけば、便利な着物になることは間違いありません。

目次

1、紬の定義

2、紬は本当に格が低いか?

3、例外も必ずある。

1、紬の定義

紬(つむぎ)とは、紬糸を使っておられた織物の事、また、それで作られた着物の事をさします。紬と言いますと、大島紬、結城紬、上田紬、などが有名ブランドで、郡上紬、牛首紬、塩沢紬、米沢紬など今では希少価値のあるブランドもあります。あるいは、久米島紬、村山大島紬、遠州綿紬など、ちょっと風変わりな雰囲気を醸し出すことができるブランドもあります。
紬は、基本的に農作業をしていたお百姓さんたちが利用しました。江戸時代徳川政権は、農民に贅沢禁止令を出し、麻と木綿の着物のみで、絹は着用してはいけないと命じますが、農民たちは絹を着用することを諦めず、だったら、絹であっても絹に見えないようにすればいいのだ!と考え、遠目からは木綿に見えるような着物の開発に成功したのです。これが紬の始まりでした。
具体的にいいますと、生糸にできない品質の悪い蚕の繭を砕いて真綿にし、そこから糸をとるようにしたのです。これをくず繭と言います。そして、そのくず繭からとった糸を紬糸と言い、これと少数の生糸と混ぜ込んで織った着物が紬なのでした。ちなみに紬という名称は、糸をひたすらに紡ぐという言葉からつけられたのだそうです。
くず繭にする繭の定義は穴の開いた繭、汚れた繭、あるいは、隣通しの蚕が作った繭(これは玉繭という)など、ブランドにより異なっており、それぞれのブランドで、布の触った感じや、見た目の感じが微妙に異なっています。紬糸は、いずれにしろ太さが均一ではなく、ところどころ、太く盛り上がった織目が出てきますが、これを節といい、紬を見分けるときのキーポイントになります。
生糸のみで作った着物は、光沢を放ち、つるんとしていますが、紬糸で作った紬は大体ざらっとしていて、光沢が出ないことが多く、ブランドによっては、毛玉のようなたまが現れることもあります。
この紬が発明されたおかげで、お百姓さんたちは、絹の着物をこっそり着ることができるようになり、この技術は現在まで続いているのでした。そういう訳で冬に作物が育たない東北や北陸などの農村では、冬に、紬の着物を作って、販売することが貴重な収入源とされており、「米沢の女は紬を抱いて寝る」という言葉まであったようです。
いずれにしても、どのブランドも軽くて動きやすく、また多少引っ張られても破れることはなく、親、子、孫へと受け継がれて着用されて行きました。農作業にはピッタリのいわばジャージと同じような扱いであったのでしょう。

2、紬は本当に格が低いか?

そういう訳で、身分の低いお百姓さんの作業着であったことから、現在でも順位はあまり高くなく、ちょっとした外出とか、おしゃれ着程度しか使われていません。技術的に言ったらものすごいことなんですけどね。いくら高度な技術が使われているといっても、改まった席には着れないというのが、よく言われていることです。なんだか、もったいない着物ですが、まあ、ルールはルールですから、そういう事なんでしょう。ただ、紬を着るというと、その生地を着ることになりますので、紬が好きな方は、本当に着物が好きなんだなあと思われることが多いです。着物が好きな人は紬にはまると言いますが、これほんとです。だってその証拠に私も、紬の着やすさには感動しましたよ。着崩れしにくいし、歩きやすいし。長時間歩いても、疲れないし。嬉しいことだらけの着物です。そうなると帯も比較的渋めのしゃれ帯とか、名古屋帯なんかがいいのではないかなと思われます。ただし、紬は先ほども言いました通り、順位はいくら低くても、破れにくい、歩きやすいなどの長所をたくさん持ち合わせており、単に格が低いと決めつけるのではなく、むしろ実用性を優先する着物だと思います。着物を着慣れていない人でも、何とかうまく着こなせるのが紬なんです。これはほかの生地では代用できいませんね。そこのところをもうちょっと見直してほしいものです。
戦後の復興の象徴として、紬の訪問着というものが作られるようなり、そうなると、紬の順位もまた変わってくるようになりました。これであれば、礼装にはなりませんが、一寸改まったところにも使うことができます。これには賛否両論ありますが、私は時代の一部として許容してもいいのではないかと思います。

3、例外も必ずある。

順位が低く、おしゃれ着、外出着程度しか使えないと言われてきた紬ですが、大島紬だけは例外で、なぜか准礼装、略礼装くらい、つまり、改まった食事とか、コンサートなどに使われるようになっています。技法はほかのブランドと大して変わりないそうですが、大島だけは一線を越えていると言ってもいいでしょう。理由は、奄美大島が薩摩藩の領土になった際、薩摩藩が江戸幕府に献上しており、唯一製造が幕府に公認されていて、武家の人も着用することができていたからだと言われています。やっぱりどこの世界でも例外のないルールはないんですね。なので、コンサートなどで大島を着ている人が居てもおかしくないんですよ。
ただ、紬という着物は、全体的に渋くて地味であることが多いです。若いうちからそれを着用しいてしまうと、なんだか若さがしぼんでしまうような気がします。若いときはやっぱり、華やかでかわいらしいのがいいのではないかなあと私は勝手に思っております。

紬は、江戸時代までは本当に身近な、一般庶民の着物として隆盛を極めました。着物を着ることが珍しくなった今では、なかなか着用する機会に恵まれなくなりましたが、紬を着るということは、古来の日本人が日常生活に着ていたものを身に着けることでもあり、日本人の人生観とか、無常観などが、現れている生地ではないかと思います。そういうところが、紬の一番の魅力なのではないかと思っています。


拝読有難うございます。何かの参考にしてくだされば嬉しくもいます。