60日目 まぁつまり、

歩きはじめてから痛む左足はあいかわらずで、鍛えれば治るものなのか、それともこの先ずっと抱えていくものなのかはわからない。今できることは、無理せず歩くことだ。

夢を見た。くるりの「愉快なピーナッツ」がBGMの夢。シフォンケーキのようなふわふわのパンを食べている。大きな立方体をしたそれを、周りの人にちぎってはあげ、ちぎってはあげる。何かのお祭りだろうか、和太鼓の準備をしている。屋台は少ない。ビデオで撮影するための良い場所がなかなかみつからない。ダンサーが空中ダンス。赤ちゃんが私のもとで泣きじゃくる。男の子が飾ってある旗の余白に絵が描きたいと大騒ぎ。音楽にのせて太鼓をたたくと、次第に聞き慣れたリズムへ・・・。


朝の日課、洗顔、朝ごはん(かたい魚、大根おろし、味噌汁、ごはん、サラダ、牛乳)、歯磨き。整形外来の担当の先生が、退院後の外来の予約を知らせに来てくれた。約2週間後にまた来ることになった。

理学療法リハビリは、筋トレを中心に行う。かかとあげ20回を2セット。段の昇り降りを左右10回ずつ。筋力測定をした。横向きに寝て、上の脚を押えられるのに負けないようにぐっと上げる。(PTさんは測定器を手にして私の脚を押さえつける。)左の骨盤を骨折していたので、右と比べると左は力が入らない。というか、力を入れると痛む予感がする。左右差がおおきいと身体のバランスが悪くなる。どちらも徐々に鍛えていきたい。

作業療法リハビリはいつもどおり。OTさんに左手首をマッサージしてもらいながらおしゃべりをする。毎回角度を測るけれど、いつもあまり変わらない。あまりにも変化が小さいので、気長に頑張ろうと、数字は意識しないようにしている。

昨日の歩く訓練で7分歩いたので、今日はそれを超えてみようと思い、思い切って病院の外をぐるっと一周してみることにした。暑い中でこぼこ道を歩くというのは、結構疲れるものなんだなと感じる。ベッドに戻って休む。まだまだ、怪我する前のように歩いたりできない。二本足で自力で歩いていいと許可をもらってまだ3日目なのだ。体力がないことを実感する。

夕方の救急の先生方の回診。いままでお世話になった救急の先生方が勢ぞろいだ。ずらりと並んだ先生方はみんな笑顔だった。明日の退院をエアー拍手でお祝いしてくれた。

「コード・ブルーはみましたか?」ときかれる。期待の色を隠せずうきうきした瞳の先生方。日中も看護師さんがコード・ブルーの話をしていたが、医療関係の皆さんは特にこのドラマに注目しているようだ。

みましたと答える。ドラマでは、止血のため開腹したところにガーゼをつめ、翌日ガーゼを取り出す処置がなされていた。そのシーンをみたとき(これ、わたしと同じ・・・?)と思っていたが、救急の先生方はまさにあれをしたんだよと、教えてくれた。「まぁ、ダメージコントロールなんて、説明、あんなこと家族には言わないよ(苦笑)」ですよねー、なんて和気あいあいと話しをしている先生方。救急病院入院中に救急専門医から救急医療ドラマの評価をきくという面白い経験をした。

「まぁつまり、ますこさんが、がんばった、ということです。」

ドラマでは、ダメージコントロールは、患者の生きたいという気持ちに委ねるいちかばちかの処置だと説明された。

つまり、私の身体は、生きることを諦めていなかったのだ。

死にかけていた状況を、いま改めて振り返る。

生かしてくれた、目の前の先生方に感謝の気持ちがあふれる。


その後しばらくして、整形外科の回診で3人の先生がやってきた。今日は担当の先生は含まれていない。「大丈夫そうですね」と、いつもと変わらぬ私に笑顔で確認する先生。「そろそろ退院の話も・・ね。でてくるころですね」「救急の先生から話しでてる?」

あ、明日です、と答えると3人声も顔もそろえて「あした!?」と驚く。そのそろいっぷりがツボにはまってしまった。最新の情報が届いていなかったのですね。くすくす。

明日夜勤で退院の時に会えないから、と看護師さんが挨拶にきてくれたりした。あぁ、ほんとうにお世話になった。救われた。ありがとうございました。

入院最後の夜を噛みしめる。この経験は宝物だ。辛かったし、苦しかったこともある。ナースコールが手放せなかったころ。ご飯が食べられなかったころ。苦しい痰の吸引。おむつ生活。顔がぱんぱんに腫れて、口が閉じられないころ。非日常なようで、それが私の日常だった。振り返るときりがない。穏やかな気持ちで、おやすみなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?